カンサス・シティ (曲)
「カンサス・シティ」(Kansas City)は、1952年にジェリー・リーバーとマイク・ストーラーによって書かれた楽曲である。同年にリトル・ウィリー・リトルフィールドによって録音された後、1959年にウィルバート・ハリスンによるカバー・バージョンが発売され、シングルチャートで第1位を獲得した。本作は、「リーバーとストーラーの最も多く録音された曲の1つで、300以上のバージョンが存在する」とされており[2]、R&Bやポップスのレコード・チャートにも度々登場している。 原曲「カンサス・シティ」は、ロサンゼルスに住む19歳のR&Bを好むジェリー・リーバーとマイク・ストーラーの2人によって書かれた楽曲。2人ともカンザスシティを訪れたことはなかったが、ビッグ・ジョー・ターナーのレコードに触発されて本作を書いた[3]。 プロデューサーのラルフ・バスとのつながりで、2人は西海岸のR&B歌手であるリトル・ウィリー・リトルフィールドのために「カンサス・シティ」を書き下ろした[2]。曲のメロディーをめぐって、当初伝統的なブルースを好んでいたリーバーと、個性的なボーカルラインを望んでいたストーラーとの間で意見の相違があったが、最終的にストーラーの意見が通った[2]。アレンジはマックスウェル・デイヴィスが手がけており、デイヴィスはテナー・サックスの演奏も担当している[2]。リトルフィールドは、1952年にロサンゼルスで本作のレコーディングを行なった。その後バスによって、タイトルを「K.C.ラヴィング」(K.C. Loving)に変更された[4]。同年にフィデラル・レコードからシングル盤として発売されたが、シングルチャート入りすることはなかった[5]。 リトル・リチャードによるカバー1955年にリトル・リチャードは、2つのバージョンの「カンサス・シティ」を録音しており、いずれも数年後に発売された[6]。1つ目のバージョンは原曲に近いアレンジで、1970年11月に発売されたコンピレーション・アルバム『Well Alright!』に収録された。2つ目のバージョンはリチャードによって大幅に作り直されたアレンジで、「Hey, hey, hey, hey; Hey baby, hey child, hey now」というフレーズから始まるリフレインが強調されている。このアレンジは、1958年末に発売されたアルバム『ザ・ファビュラス・リトル・リチャード』に収録され、1959年4月にシングル盤として発売された[7]。シングル盤は、全英シングルチャートで最高位26位を獲得した[8]。 1956年5月9日にリチャードは、6か月前に録音した「カンサス・シティ」の第2バージョンの一部分と似た「ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ」のレコーディングを行なった。同作は1958年1月にシングル盤『グッド・ゴーリー・ミス・モリー』のB面曲として発売され、同年7月に発売されたアルバム『リトル・リチャード』に収録された[7]。 ウィルバート・ハリスンによるカバー
リトルフィールドの「K.C.ラヴィング」を数年にわたって演奏していたウィルバート・ハリスンは、1959年に本作のレコーディングを行なうことを決めた。リチャートによるカバー・バージョンの発売後の1959年3月、ニューヨークにあるスタジオでフューリーのボビー・ロビンソンのプロデュースのもと、ハリスンはギタリストのワイルド・ジミー・スプルーイルを含む3人で、レコーディングを行なった[9]。同年末にフューリー・レコードからシングル盤として発売された。 曲のアレンジは、リトルフィールドによる演奏とほぼ変化はないが、スプルーイルが演奏するリズムギターとギターソロによるシャッフル・グルーヴが特徴となっている[3][10]。ハリスンによるカバー・バージョンは、元のタイトルである「カンサス・シティ」で発売されたが、リフレインの歌詞が「They got some crazy little women there, and I'm gonna get me one」に変更されている[4]。 ハリスンによるカバー・バージョンは、『ビルボード』誌が発表したBillboard Hot 100とHot R&B / Hip-Hop Songsチャートで7週連続で第1位を獲得し[11]、1959年最も売れたレコードの1つとなった[12]。なお、同作はアメリカでSP盤としてリリースされた最後の作品となった[13]。 1960年にはハリスンによる本作のアンサーソング「Goodbye Kansas City」が発表された[14]。 チャート成績
ビートルズによるカバー
ビートルズは、ハンブルクに滞在していた1961年春より「カンサス・シティ」を演奏していて、1964年10月にリトル・リチャードによるカバー・バージョンを基にレコーディングを行なった[19]。 背景ポール・マッカートニーが本作を知ったのは、1959年前半にリチャードによるカバー・バージョンの7インチシングル盤がイギリスで再発売されたときだった。マッカートニーはリチャードによる演奏を敬っていたが、ウィルバート・ハリスンのバージョンは知らなかった[20]。1960年初夏に本作を初めて演奏しており、マッカートニーがメモ用紙に書き写したセットリストから確認できる[21]。 1961年6月に行なわれたトニー・シェリダンとのレコーディング・セッションで本作を録音したとされている[22][23]。1962年8月22日にビートルズはテレビ初出演を果たし、キャヴァーン・クラブで「サム・アザー・ガイ」と「カンサス・シティ/ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ」を演奏した[24]。この時の演奏について、ビートルズの歴史家であるマーク・ルイソンは「印象的」[25]とし、「高音パートが2分半の間、大きく、強く、メロディックに、豪快に歌われている」[26]と評している。1962年12月のハンブルクのスター・クラブ公演でも演奏されており[27]、当時の演奏が1977年に発売された『デビュー! ビートルズ・ライヴ'62』に収録されている[28]。1963年7月16日にBBCラジオの番組用にメドレー曲の録音が行なわれており、1994年に発売された『ザ・ビートルズ・ライヴ!! アット・ザ・BBC』に当時の演奏が収録されている[29]。同作に収録された演奏について、音楽評論家のイアン・マクドナルドは「力強いマッカートニーのボーカルと攻撃的なハリスンのソロをフィーチャーした、一般的には凡庸といえるコレクションのハイライトの1つ」と評している[30]。 スタジオでのレコーディングが行われる1か月前、ビートルズは1964年9月17日にカンザスシティ・ミュニシパル・スタジアムで行なわれたライブで、本作を演奏している[31][32]。マクドナルドは「この曲が引き起こした反応によって、LPに収録されることが確実となった」と述べている[33]。 レコ―ディング1964年のイギリスツアーの休日となった10月18日、ビートルズはメドレー「カンサス・シティ/ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ」のレコーディングを行なった[34]。リハーサル時にマッカートニーにとって歌いにくいパートが存在していた。後にマッカートニーは、ジョン・レノンの「君ならもっと上手くできるはずだ」という言葉に励まされたと明かしている[35]。2テイク録音され、テイク1がベストとされている[34]。それぞれのテイクでジョージ・ハリスンのギターソロのフレーズが異なっている[36]。本作のレコーディングで、ハリスンはグレッチの6122 Country Gentlemanを使用し、レノンは1958年製のリッケンバッカー・325カプリを使用した[37]。プロデューサーのジョージ・マーティンによってピアノのパートが加えられている[37]が、ルイソンはピアノのパートについて「レコードではほとんど認識できない」と述べている[34]。10月26日にマーティンは、エンジニアのノーマン・スミスやトニー・クラークとともに、モノラル・ミックスとステレオ・ミックスを作成した[38]。 マクドナルドは、ビートルズによるカバー・バージョンについて「ビートルズの最高のカバーの1つ」と評している[39]。 リリースビートルズによるカバー・バージョンは、1964年12月4日に発売されたイギリス盤公式オリジナル・アルバム『ビートルズ・フォー・セール』に収録され、アメリカでは翌年の1965年6月14日に『ビートルズ VI』の収録曲として発売された[33]。また、キャピトル・レコードの「スターライン」シリーズの一環として、1965年10月にB面に「ボーイズ」を収録したシングル盤が発売された[40]。また、日本では1965年3月15日にB面に「アイル・フォロー・ザ・サン」を収録したシングル盤が発売されている。 1995年に発売された『ザ・ビートルズ・アンソロジー1』にテイク2が収録されているが[41]、マーティンによってオーバー・ダビングされたピアノのパートは含まれていない[30]。1962年12月のハンブルク公演でのライブ音源は、1977年に発売された『デビュー! ビートルズ・ライヴ'62』に収録されている[28]。 クレジット※出典[42]
ジェームズ・ブラウンによるカバー
ジェームズ・ブラウンは、1967年に「カンサス・シティ」のレコーディングを行なった。同年にシングル盤として発売され、『ビルボード』誌のR&Bチャートで最高位21位、Hot 100シングルチャートで最高位55位を獲得した[43]。1975年に発売されたアルバム『ハッスル&ダブル・バンプ』には、7分以上におよぶ本作のジャムが収録されている[44]。 ライブで演奏されたこともあり、『ライヴ・アット・ジ・アポロ Vol.II』(1968年)や『セイ・イット・ライヴ・アンド・ラウド』(1998年)などのライブ・アルバムにライブ音源が収録されている。 文化的影響など2001年、ウィルバート・ハリスンの「カンサス・シティ」がグラミーの殿堂入りを果たし[45]、ロックの殿堂が選ぶ「500 Songs That Shaped Rock」にも含まれた[46]。 2005年、カンザスシティは本作を公式ソングとして採用し、Goin' To Kansas City Plazaに捧げられた[47]。 上記のアーティストの他にも、トリニ・ロペスやハンク・バラード、ファッツ・ドミノなど多数のアーティストによってカバーされており[48]、1963年に発売されたロペスによるカバー・バージョンは、アメリカのBillboard Hot 100で最高位23位[49]、イギリスの全英シングルチャートで最高位36位[50]、ベルギーのUltratop Singles Top 50で最高位8位[51]を獲得した。 脚注出典
参考文献
外部リンク
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