カネミ油症事件カネミ油症事件(カネミゆしょうじけん)とは、1968年(昭和43年)、カネミ倉庫が製造する食用油にポリ塩化ビフェニル(PCB)などのダイオキシン類が製造過程で混入し、その食用油(「カネミライスオイル」と呼ばれた[1])を摂取した人々やその胎児に障害などが発生した、西日本一帯における食中毒事件である[2]。 福岡県北九州市小倉北区(事件発生当時は小倉区)にあるカネミ倉庫株式会社で作られた食用油(こめ油・米糠油)[注釈 1]「カネミライスオイル」の製造過程で、脱臭のために熱媒体として使用されていたPCB(ポリ塩化ビフェニル)が、配管作業ミスで配管部から漏れて混入し[3][4]、これが加熱されてダイオキシンに変化した[5]。このダイオキシンを油を通して摂取した人々に、顔面などへの色素沈着や塩素挫瘡(クロロアクネ)など肌の異常、頭痛、手足のしびれ、肝機能障害などを引き起こした[6]。 カネミ倉庫は、油にダイオキシン類が含まれていることを知ったあとも汚染油を再精製して売り続けた結果、工場のあった福岡と再精製油が売られた長崎にさらなる被害をもたらした[7]。摂取した患者は現在まで長きにわたり、さまざまな後遺症に悩まされている。なかでも、妊娠していた女性患者から全身が真っ黒の胎児が産まれ、2週間ほどで死亡するという事件が発生。これは社会に大きな衝撃を与え、学界でも国際会議で「YUSHO」と呼称され、世界的な関心を集めた[8][9]。 経緯
被害認定日本全国でおよそ1万4000人が被害を訴えたが、認定患者数は2018年度末時点で2329人と少ない[24]。うち、相当数がすでに死亡している。家族が同じものを食べて被害にあったにもかかわらず、家族のうち1人だけが被害者に認定されるケースもあるなど、認定の基準が被害者には曖昧なものであった。認定患者数は2022年末時点で2367人[25]。 2004年9月29日、厚生労働省の所管組織である国の「油症治療研究班(九州大学医学部を中心とする研究グループ)」は、新たに血液中のダイオキシン濃度を検査項目に加えた新認定基準を発表した。また、自然界では、ダイオキシンに曝露したことの影響と見られる生殖器官の異常など動物の奇形も見られるが、直接の被害者が男性の場合、精子など遺伝子へのダイオキシン類による被害があっても、親から子へと胎内を通じて直接子孫に影響があると考えられる女性と違い、血中のダイオキシン濃度測定だけでは、世代を超えた影響は関知しえないという問題もある。 裁判民事1970年、被害者らは食用油を製造したカネミ倉庫・PCBを製造した鐘淵化学工業(鐘化、現・カネカ)・国の3者を相手取って賠償請求訴訟を起こした。カネミ側の代理人は日本弁護士会理事、福岡県弁護士会副会長、九州弁護士連合会理事長などを歴任した弁護士清原雅彦が担当した[26]。 1977年10月5日、福岡民事第一審判決で、原告がカネミ倉庫、鐘化にほぼ全面勝訴する。 二審では被害者側が国に勝訴し、約830人が仮払いの賠償金約27億円を受け取ったが、最高裁では逆転敗訴の可能性が強まったため、被害者側は訴えを取り下げた。この結果、被害者らには先に受け取った仮払いの賠償金の返還義務が生じることになったが、すでに生活費として使ってしまっていたケースも多く、返還に窮した被害者の中からは自殺者も出るに至った[27]。なお、鐘化は仮払い金の返還を請求する権利を有していたが、被害者らが鐘化に責任がないことを認める代償として、仮払い金の返還請求権を行使しないという内容で和解に至った。 提訴は、関係者の思惑から全国統一訴訟団と油症福岡訴訟団に分かれて提起された。全国統一訴訟は国を相手にしていたが、福岡訴訟団は時間節約を目的として国を外し、鐘化とカネミ倉庫を相手とした。和解終結後の認定患者に対しては、カネミ倉庫は訴訟患者の和解条件と同様の取り扱いをしているが、医療費自己負担分の支払い、一律23万円の一時金、死亡時3万円の葬祭料の支払い。鐘化は新規認定患者約80人に対しては和解金300万円を支払っていない。理由として訴訟時に原告であった人だけを対象として鐘化に責任はないとする条件で和解したため、その後の認定患者への責任はないとしている。 2008年5月、「カネミ油症新認定訴訟」を福岡地裁小倉支部に提出するが、カネミ倉庫(株)の製造・販売した過失を認め、原告らがカネミ汚染油を摂取したためにカネミ油症に罹患したと認めながら、「除斥期間により権利が消滅している」として、原告全員の請求を棄却した。原告は控訴していたが、福岡高裁は2014年2月24日、一審判決を支持しこれを棄却。2015年6月2日に最高裁第三小法廷(木内道祥裁判長)が上告を棄却し、判決が確定した[11]。 刑事1970年3月24日、当時の社長・加藤三之輔と男性工場長が業務上過失傷害容疑で福岡地検小倉支部に告訴され、刑事裁判が行われた[28]。裁判で社長は無罪判決を受け、1978年3月24日に判決が確定したが[29]、工場長は禁錮1年6か月の実刑判決を受け福岡高裁に控訴[29]、1982年1月25日に判決が確定し、服役した。 仮払金返還問題1996年6月、九州農政局は原告患者本人だけでなく患者の子まで相続人も含めて、一人当たり約300万円、総額27億円の仮払金の返済督促状を送付した[13]。 現状発生から年数が経過し、特に首都圏などの東日本で事件の風化が進んでいたが、2004年の認定基準の見直しなどもあり、事件が再び注目を集めることとなった。仮払金の返還問題についても、特例法による国の債権放棄など、被害者救済に向けた検討が与野党で始まっている。ただ、なお残る健康被害、被害者への差別・偏見など、問題は多く残されている。 被害者の検査は定期的に行われているが、具体的な治療法が発見されておらず、認定者の高齢化も相まって、検査に訪れる人は年々少なくなっている。またPCBは内分泌攪乱化学物質の疑いがあるため、被害者の子や孫にも実質的に被害が及んでいる可能性があるが、被害者の認定が曖昧なため(先述)、実質どの程度影響しているのか調査も進んでいない[30]。 こうした状況を受け、カネミ油症事件関係仮払金返還債権の免除についての特例に関する法律(カネミ油症事件仮払金返還債権免除特例法、平成19年法律第81号)が2007年通常国会で可決され、成立した。その結果、一定の収入基準以下の被害者に対する仮払金返還請求を国が放棄し、仮払金問題は一応決着するに至った。そのほか国が2008年1回に限り、油症の定期健康診断を受けた患者に対し、20万円の健康管理手当を支給することが決定した。 しかし、カネミ倉庫の棚上げになっている500万円の未払い補償金問題が残っている。これは、「医療費自己負担分の支払いをカネミ倉庫が続ける限り、500万円の和解金に関しては強制執行等を行わない」として和解したため、カネミ倉庫からは一律23万円の一時金しか支払いがなされていないためである。 現状において、カネミ倉庫が医療費自己負担分の支払い原資としているのは、農林水産省から預託された政府保管米の預託料の年間約2億円で、うち約6000万円程度が医療費支払いに充てられている。福岡県と長崎県の場合、被害者の多い地区では油症患者医療券を窓口で提示すれば、一部の医療機関では自己負担分の支払いなしで受診可能である。しかし、それ以外の地区ではいったん自己負担したあとに領収書を郵送し、後日(1か月後)ゆうちょ銀行口座に振り込まれるようになっている。 1970年の三者合意によって、カネミ倉庫に対して政府保管米を随意契約によって預託し、その保管料年間2億円によって被害者の医療費助成が行われていたが、2010年9月をもって政府はその契約を政府保管米事業の民間委託に伴い解除した。2011年以降、米の入庫が行われなくなったため、被害者の間で医療費の支払いに関して不安が広がっていた。同年秋、農水省は政府保管米事業の業務委託契約を一部変更し、「必要な場合には預け先を指定できる」とする内容に変更し、カネミ倉庫への政府保管米預け入れ業務が再開された。 1996年6月、農林水産省九州農政局がカネミ油症被害者に仮払金の返還について督促状を送付する。 2002年6月29日、カネミ油症被害者支援センターが設立される[11]。 2005年12月2日、保田行雄弁護士らが「カネミ油症事件に対する人権救済申立書」を日本弁護士連合会人権援護委員会に提出する[13]。 2006年4月17日、日本弁護士連合会が、油症被害者の人権救済について国やカネカなどに勧告書などを提出する[11]。 2008年、長崎県五島市でカネミ油症40年イベントが開催され、「回復への祈り カネミ油症40年記念誌」が発行される。 2009年、カネミ油症被害者支援センターが第23回東京弁護士会人権賞受賞[31]。 2011年、「カネミ油症被害者恒久救済に関する請願」署名3万3592筆を国会に提出。 2012年(平成24年)8月29日、カネミ油症患者に関する施策の総合的な推進に関する法律案が参議院本会議で可決成立し、同年9月5日にカネミ油症患者に関する施策の総合的な推進に関する法律(カネミ油症救済法、平成24年法律第82号)として公布・施行された。内容は
などとなっている。ただし、すでに死亡している患者に対する救済策はなく、カネミ倉庫が支払う和解金の一部支払金(年5万円)も対象外である。 カネミ側は「和解金の一部を支払う」としているが、年間5万円の支払いの場合、元金の500万円の返済完了は2113年で、金利を入れた場合は2223年以降にずれ込むとみられる。 2013年6月19日、第1回の三者(被害者・国・カネミ倉庫)協議会が開催される[11]。 2013年8月25日、カネミ油症五島の会事務局長の宿輪敏子が、ダイオキシン国際会議において、元ベトナム戦争枯葉剤被害者兵士とともに被害を訴える。 台湾油症事件では、PCBとダイオキシン類の毒性の遺伝を認め、台湾油症認定された母から生まれた子は油症認定されるが、日本のカネミ油症事件では油症二世を認定していないため、症状が出ても認定基準値に達していないと認定されない[32]。 2018年10月26日、油症被害者の13団体、カネミ油症被害者支援センター(YSC、東京)、および高砂共催市民の会は、カネミ油症の原因物質ポリ塩化ビフェニル (PCB) を過去に製造したカネカ高砂工業所(兵庫県高砂市)に、製造責任などについて対話する機会を設けることなどを求める要望書を提出しようとした[33]。 2018年11月17日、発症50周年にあたり長崎県五島市で犠牲者の追悼式および、教訓を考える記念行事「油症の経験を未来につなぐ集い」が、カネミ油症事件発生50年事業実行委員会(会長・下田守下関市立大名誉教授)によって行われた[34]。 五島市福江総合福祉保健センターには、カネミ油症コーナーが開設されている。 被害者団体関西を中心に被害者団体が存在し、国やカネミ倉庫との三者協議や集会に参加している。
脚注注釈出典
参考文献
関連文献等学術雑誌
テレビ番組
映画
「カネミ油症50年 上映会」にて上映された(東京新聞:食品公害「カネミ油症」まだ終わっていない きょう豊島で上映会:東京(TOKYO Web) 『東京新聞』朝刊2018年10月10日(都心面)2018年10月14日閲覧)。 書籍
関連項目
外部リンク
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