イアン・アンダーソン
イアン・アンダーソン(Ian Anderson、MBE、1947年8月10日 - )は、スコットランド出身のミュージシャン、フルート奏者。 ロック・ミュージックにフルートを持ち込んだことでも知られ、ロックバンド「ジェスロ・タル」ではリーダーを務めた。 経歴スコットランド・ダンファームリン出身。家族がイングランドのブラックプールに引っ越した後、地元の美術学校時代に知り合ったジョン・エヴァン(キーボード)やグレン・コーニック(ベース)らと共にブルース・バンドを結成し活動を始める。 活動拠点を首都ロンドンに移すが、バンドは解散。1967年、自身とコーニックは新たなメンバー編成で「ジェスロ・タル」を結成し、翌年アルバム・デビューを果たす。デビュー時から独自の世界観を築いており、セールス面でも英米ともに成功を収めて、1970年代を中心に熱烈な支持を集めた。 メンバー・チェンジや音楽性の変化などもあり(特に1980年代前期の作品では当世のニュー・ウェイヴ的なアプローチを導入していた)、1980年代にはバンドとしての活動が停滞する。自身もソロ・アルバムを発表するなど、活動は散漫になっていく。副業に専念するとして音楽活動からの引退を発表したこともある。結局はバンド活動を継続し、独自の路線を進めた[2]。 2011年にバンドの活動が停止。以降は、ソロ・プロジェクトを中心に活動している。 授与歴2006年に母国のヘリオット・ワット大学(エディンバラ)、2011年に同じくアバティー大学(ダンディー)からそれぞれ名誉博士号を授与。2008年には、大英帝国勲章 MBEを受章している。 スタイル楽曲制作やボーカリスト、またギターやフルートなどの演奏もこなし、ジェスロ・タルの中心的な役割を果たしている。特に、フルートは彼の代名詞でもあり、ジェスロ・タルの音楽世界を巧みに演出する効果もあった。 中世ヨーロッパを彷彿とさせる幻想的なサウンドを得意とする。トラッド・ミュージックや民謡などにも傾倒しており、その音楽性はジェスロ・タルのサウンドに顕著に表れている。 補足フルートを使うきっかけは、自分よりギターの演奏が上手な連中ばかりを見てきて、他の楽器に転向しようと考えて楽器店を訪問し、店員に「ここに置いてあるヴァイオリンとフルート、どちらが簡単に演奏できる?」と質問したところ、「フルートのほうです」と言われたからである。 リッチー・ブラックモアとの交友関係があり、ブラックモアズ・ナイトのデビュー・アルバム『シャドウ・オブ・ザ・ムーン』や、マジェランの『ハンドレッド・イヤー・フラッド』にも、フルート奏者としてゲスト参加した。そのリッチーは以前から、イアンの実績を高く評価をしており、おごる事のない姿勢を称えていた。 音楽活動以外には、魚の養殖業を営む実業家という側面も持っている。 日本公演
ディスコグラフィソロ・アルバム
ライブ・アルバム
脚注注釈出典
外部リンク |
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