橋本拳人
橋本 拳人(はしもと けんと、1993年8月16日 - )は、東京都板橋区出身のプロサッカー選手。SDエイバル所属。登録ポジションはミッドフィールダー(MF)で、ボランチ[3][4]でのプレーを本職とするが[5]、ディフェンダー(センターバック[3][4]、サイドバック[6][7])でも起用される。日本代表。
来歴
プロ入り前
5歳の時にサッカーを始める[1]。兄の影響でFC東京スクールへ通い始め[8]、2006年より同クラブの下部組織に加入。小学校の時には板橋区を拠点とするアミーゴFC に所属していた。高いボール奪取能力を持ち、FC東京U-18の主軸として中盤で攻守に活躍した[9]。2011年にはトップチームのキャンプに参加し[9]、その後も2種登録選手として帯同[10](2010年は登録のみ[11])。
FC東京
2012年より正式にトップチームへ昇格[2]。プロ初年度はリーグ戦4試合、ナビスコ杯2試合、天皇杯1試合にベンチ入りを果たすが試合出場は出来なかった。2013年は、安定したプレーとパスによる展開力[注 1] を身に付けるべく[12] 主にセンターバックとして練習を重ねており、評価を高めつつあった[13][12]。
ロアッソ熊本
同年5月、出場機会を求めて[3]、この年から始まった新たな移籍制度[注 2]を利用し、ロアッソ熊本へ期限付き移籍[15][16]。5月3日のJ2第12節水戸戦で、ボランチとして早速先発出場の機会を得ると、広範囲の守備意識[17] や攻守の切り替えの速さを発揮し[18]、相手の攻撃の芽を摘む活躍で[14]、早々にチームにフィット[19]。シーズン途中からの3バック採用に伴い、ビルドアップに長けるセンターバックとしても起用された[20]。この後、移籍期間をシーズン終了後まで延長[21][22]。同年10月に中国・天津にて開催された東アジア大会に参加するU-20日本代表にも招集されていたが、負傷により帰国[23][24]。同年11月初旬の熊本での練習中に再び負傷、左膝内側半月板断裂と診断され再建手術を受けた[25]。移籍期間の再延長により、2014年も続けて熊本でプレー[26][27]。ボランチでの出場を続けていたが、シーズン半ばよりDF矢野大輔に代わりセンターバックのレギュラーに据えられた。高いラインを保ち、奪いに行く守備を体現[28]。同年のJ2で最多のタックル数を記録した[29][30][4]。なお、Jリーグ・アンダー22選抜の招集リストに登録されていたものの実際に招集されることはなかった。
FC東京復帰
2015年からFC東京へ復帰[31][32]。第15節の松本戦でFW[33](実際は左MF[4])としてJ1リーグ戦に初先発・初出場し、初シュートが初得点となる初物尽くしの珍記録で[4] 出場試合初勝利を飾った。その後は守備を固める逃げ切り要員として出場を続けていたが[34]、終盤戦にはインサイドハーフのレギュラーに定着。優れたボール奪取能力と強靭なフィジカルを活かした思い切りの良い攻撃参加で好守に貢献した[34][35]。
2016年は城福浩監督から「どこ(のポジション)でも高いレベルで出来る」と見込まれ[6] 右サイドバックでの出場機会が増加[7]。負傷者の続出するチームを支える貴重な存在として飛躍を遂げる一年となった[36]。リーグ戦後の天皇杯4回戦・ホンダFC戦において右膝半月板を負傷し手術を受けた[37]。
2017年は4月1日のサガン鳥栖戦で今季初得点を記録。7月8日、第18節の鹿島アントラーズ戦では2得点を決め連敗ストップに貢献した[38]。
2018年は石川直宏の背負っていた背番号「18」を着用。5月5日、第13節の川崎フロンターレ戦では先制点を決め、これがクラブのJ1リーグ通算800点目となった[39]。
2019年4月6日、第6節の清水エスパルス戦でJ1通算100試合を達成した[40]。同年は自身初となるJリーグベストイレブンに選出された[41][42]。
FCロストフ
2020年7月9日、ロシア・プレミアリーグ・FCロストフへ完全移籍することが発表された[43]。8月8日、第3節のFKタンボフ戦で初出場を果たした。8月24日、第4節のFCウファ戦では初先発で初ゴールも記録し、MOMに選出された[44]。2021-22年シーズンに背番号を18へ変更した。
FCロストフとの契約停止期間の動向
2022年ロシアのウクライナ侵攻を受け、国際サッカー連盟(FIFA)は「ウクライナ侵攻の影響を受けたロシア・ウクライナクラブ所属の外国籍選手が所属クラブの合意なしで契約を一時的に停止できる」レギュレーションを制定した。2022年3月27日、このレギュレーションを用いてFCロストフとの契約を停止して日本へ帰国、ヴィッセル神戸へ加入した[45][注 3]。
ヴィッセル神戸
神戸では故障で離脱していたセルジ・サンペールに代わるアンカーとしてアンドレス・イニエスタ、山口蛍と中盤のトライアングルの一角を担い、リーグ戦9試合1得点の記録を残した。
同年7月1日には7月以降の神戸との契約延長を結んだが、その後セグンダ・ディビシオンのSDウエスカからオファーが舞い込み、わずか3週間後の2022年7月18日、ウエスカへの移籍が決定した[46]。J復帰から3ヶ月半、E-1選手権後に再び海外リーグでプレーすることとなった[47]。
SDウエスカ
2022年8月3日、スペイン2部SDウエスカへの入団を発表[48]。
2024年6月3日、契約満了でチーム退団した[49]。
SDエイバル
ウエスカ退団後、6月に田中裕介がプロデュースするサッカーイベントにゲスト講師として参加したが、イベント後の取材では引き続きスペインでのプレーを希望してると述べていた[50]。
2024年8月29日、SDエイバルに1年契約で移籍[51]。公式サイトのリリースでは契約条項を達成した場合オプションで契約が延長されると発表されている[51]。
日本代表
2016年4月にはリオデジャネイロオリンピックを控えていたU-23日本代表候補合宿に初招集され[52]、長身のボランチとして[53] 攻守に果敢なプレーで[54] アピールに成功[55]。翌5月のガーナ代表戦及びオリンピック本大会招集選手の最終選考の場となった[56]6月のキリンチャレンジカップ南アフリカ代表戦にも出場し[57]、積極的な守備と[58]ユーティリティー性を評価された[56]。人数制限[注 4] に対応しうる柔軟性や[59]、 外国の大型選手に当たり負けないフィジカルの強さから[60] 本大会選出を有力視されていたが[61]、ACL出場のためにトゥーロン国際大会を回避したことや[62]、既存メンバーの調和を重視した選考がなされたために[63] 選外となった。
2019年3月、守田英正が負傷離脱したため、追加招集でキリンチャレンジカップ2019に臨む日本代表に初選出され[64]、3月26日のボリビア戦にボランチとして初先発した。同年12月にはEAFF E-1サッカー選手権2019に出場する日本代表のメンバーに選出される[65][66] 等以降日本代表に定着した。
2021年6月3日、予定されていたU-24日本代表とジャマイカ代表の試合が中止となり、急遽行われたA代表対U-24日本代表の試合で得点を挙げた[注 5][67]。続く同月7日に行われたアジア2次予選・タジキスタン戦で国際Aマッチでの代表初ゴールを挙げた[68]。
2022年7月13日、EAFF E-1サッカー選手権2022に臨む日本代表に選出され、代表復帰となった[69]。
所属クラブ
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2012 |
FC東京 |
37 |
J1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0
|
2013 |
0 |
0 |
0 |
0 |
- |
0 |
0
|
熊本 |
38 |
J2 |
21 |
0 |
- |
1 |
0 |
22 |
0
|
2014 |
39 |
0 |
- |
1 |
0 |
40 |
0
|
2015 |
FC東京 |
37 |
J1 |
13 |
1 |
4 |
0 |
2 |
1 |
19 |
2
|
2016 |
28 |
4 |
4 |
0 |
1 |
0 |
33 |
4
|
2017 |
26 |
5 |
6 |
1 |
0 |
0 |
27 |
6
|
2018 |
18 |
27 |
1 |
3 |
0 |
2 |
1 |
32 |
2
|
2019 |
34 |
3 |
2 |
0 |
2 |
0 |
38 |
3
|
2020 |
4 |
0 |
- |
- |
4 |
0
|
ロシア
| リーグ戦 |
ロシア杯 | オープン杯
|
期間通算
|
2020-21 |
ロストフ |
6 |
プレミア |
19 |
6 |
0 |
0 |
- |
19 |
6
|
2021-22 |
18 |
10 |
2 |
- |
- |
10 |
2
|
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2022 |
神戸 |
15 |
J1 |
9 |
1 |
- |
1 |
0 |
10 |
1
|
スペイン
| リーグ戦 |
国王杯 | オープン杯
|
期間通算
|
2022-23 |
ウエスカ |
5 |
セグンダ |
33 |
0 |
0 |
0 |
- |
33 |
0
|
2022-23 |
10 |
31 |
2 |
2 |
0 |
- |
33 |
2
|
通算 |
日本 |
J1
|
141 |
15 |
19 |
1 |
8 |
2 |
168 |
18
|
日本 |
J2
|
60 |
0 |
- |
2 |
0 |
62 |
0
|
ロシア |
プレミア
|
29 |
8 |
0 |
0 |
- |
29 |
8
|
スペイン |
セグンダ
|
64 |
2 |
2 |
0 |
- |
66 |
2
|
総通算
|
294 |
25 |
21 |
1 |
10 |
2 |
325 |
28
|
- その他の公式戦
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本
| リーグ戦 |
期間通算
|
2015 |
J-22 |
- |
J3 |
2 |
0 |
2 |
0
|
2016 |
F東23 |
37 |
1 |
0 |
1 |
0
|
2017 |
2 |
1 |
2 |
1
|
通算 |
日本 |
J3
|
5 |
1 |
5 |
1
|
総通算
|
5 |
1 |
5 |
1
|
- その他の国際大会
代表・選抜歴
出場大会
試合数
- 国際Aマッチ 15試合 1得点(2019年 - )
出場
ゴール
タイトル
クラブ
- FC東京U-15深川
- FC東京U-18
- FC東京
代表
- U-19日本代表
- 日本代表
個人
脚注
- 注釈
- 出典
関連項目
外部リンク
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J1 |
1990年代 |
- 93: サントス, 本田泰人, ラモス瑠偉
- 94: 柱谷哲二, 北澤豪, ラモス瑠偉, ベッチーニョ
- 95: 柱谷哲二, ビスマルク
- 96: ジョルジーニョ, 前園真聖, 山口素弘, 名波浩
- 97: ビスマルク, 中田英寿, 山口素弘, 名波浩
- 98: 小野伸二, 奥大介, 藤田俊哉, 名波浩, ドゥンガ
- 99: 中村俊輔, アレックス, 伊東輝悦, 澤登正朗, 福西崇史
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2000年代 |
- 00: 明神智和, 中村俊輔, 稲本潤一, 森島寛晃
- 01: 小笠原満男, 福西崇史, 藤田俊哉, 服部年宏, 中田浩二
- 02: 小笠原満男, 福西崇史, 藤田俊哉, 名波浩
- 03: 小笠原満男, 福西崇史, 奥大介, 遠藤保仁
- 04: 小笠原満男, 長谷部誠, 奥大介, 遠藤保仁
- 05: 小笠原満男, 阿部勇樹, フェルナンジーニョ, 遠藤保仁, 古橋達弥
- 06: 鈴木啓太, 阿部勇樹, 中村憲剛, 谷口博之, 遠藤保仁
- 07: 阿部勇樹, 鈴木啓太, ポンテ, 中村憲剛, 遠藤保仁
- 08: 中村憲剛, 小川佳純, 遠藤保仁
- 09: 小笠原満男, 石川直宏, 中村憲剛, 遠藤保仁
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2010年代 |
- 10: 中村憲剛, マルシオ・リシャルデス, 藤本淳吾, ダニルソン, 遠藤保仁
- 11: ジョルジ・ワグネル, レアンドロ・ドミンゲス, 藤本淳吾, 遠藤保仁, 清武弘嗣
- 12: レアンドロ・ドミンゲス, 遠藤保仁, 青山敏弘, 髙萩洋次郎
- 13: 中村俊輔, 山口螢, 柿谷曜一朗, 青山敏弘
- 14: 柴崎岳, 武藤嘉紀, レオ・シルバ, 遠藤保仁
- 15: 金崎夢生, 遠藤保仁, 青山敏弘
- 16: 阿部勇樹, 柏木陽介, 中村憲剛, 齋藤学
- 17: 中村憲剛, 井手口陽介, 山口蛍
- 18: チャナティップ, 家長昭博, 大島僚太, 中村憲剛
- 19: 橋本拳人, 喜田拓也, アンドレス・イニエスタ
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2020年代 |
- 20: 家長昭博, 田中碧, 守田英正, 三笘薫
- 21: 家長昭博, 脇坂泰斗, アンドレス・イニエスタ, 稲垣祥
- 22: 家長昭博, 水沼宏太, 脇坂泰斗
- 23: 伊藤敦樹, 脇坂泰斗, 山口蛍
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J2 |
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J3 |
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ベストイレブン(GK - DF - MF - FW) - JCB |
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