1985年、5枚目のシングル「マネー・チェンジズ・エヴリシング」は全米第27位になり、第12回アメリカン・ミュージック・アワードでは最優秀女性ポップ・ロック・ヴォーカル賞や最優秀女性ポップ・ロック・ビデオ・アーティスト賞を、グラミー賞では最優秀新人賞と最優秀アルバム・パッケージ賞を受賞。USAフォー・アフリカの『We Are The World』のレコーディングに参加。とても印象深い熱唱を披露し、音楽監督のクインシー・ジョーンズに「アドリブ入れてもいい?」と尋ね、彼を喜ばせたという有名なエピソードも残している。
1988年、旧ソ連で行われた『米ソ・ソングライター・サミット』に参加したことが転機となり、様々な刺激を受けてスランプを抜け出すきっかけとなり活力を取り戻し、ほとんど出来上がっていたニュー・アルバムを白紙に戻して作り直して、1989年、3枚目のオリジナル・アルバム『ア・ナイト・トゥ・リメンバー/A NIGHT TO REMEMBER』を発表。自身初の全曲ラヴ・ソングとなった。
ファーストシングル「涙のオール・ナイト・ドライヴ/ I DROVE ALL NIGHT」は全米第6位を記録した。
1990 - 2000年
1990年、デビュー前から思うがままに、自由奔放に活動していたが、デビューしてからの商業的成功や名声を得たことにより、レコード会社や周りのスタッフからサウンドの面から様々な面で制限され、創作活動の自由を失っていた頃、再び映画出演をし、『マイアミ・ムーン/Off And Running』の撮影がマイアミで始まる。
1992年、ミュージカル『タイクーン』のサウンド・トラックに参加し、シングル「ワールド・イズ・ストーン/The World Is Stone」がヨーロッパ各国、特にフランスでは3か月間トップ5内を記録するなど大ヒットする。
1993年、フーターズのロブ・ハイマン、エリック・バジリアンやアリー・ウィリス、夫のデビッド・ソーントンらの助けを借りて製作された4枚目のオリジナル・アルバム『ハット・フル・オブ・スターズ/HAT FULL OF STARS』を発表。ローパー自身で全曲曲作りに携わり、アルバム・カバーやさらにビデオ監督までプロデュースして全てを手掛けた。このアルバムはローパー自身がやりたいことを貫き通し、信じられる歌を歌い、周りの人たちにもっと自分の意見を提示してもいいことに気付き、妥協することなく製作された。自分の真実を語った新しいアルバムを一人一人に聞かせるために、アメリカでのクラブ・ツアーを行い、大きな話題を呼んだ。サンフランシスコのクラブのステージ上で、商業的な理由から外されたという8年の歳月を経て発表した「ア・パート・ヘイト」のことや自身の葛藤や苦悩を明らかにした。この年の年末、来日公演を行いその後、シンガポール・台湾と回る。
1994年、初のベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ/TWELVE DEADLY CYNS...AND THEN SOME』を発表。
全世界で400万枚以上のセールスを記録し、ワールド・ツアーも南米、ヨーロッパ、日本と行われた。
1996年、5枚目のオリジナル・アルバム『シスターズ・オブ・アヴァロン/SISTERS OF AVALON』を発表。4年連続となる年末来日公演を行う。アルバムには上々颱風も参加しており、武道館公演では飛び入りでライヴに参加した。生田神社(神戸市)の「震災復興節分祭」で豆まきを行うために来日。しかし、豆まきは参拝客が殺到してわずか2分で中止になる。
1997年、11月に44歳にして長男デクラン・ワレスを出産。念願だった子供を授かる。
1998年、クリスマス・ソングやクリスマスに関係した曲を集めた初のシーズナル・アルバム『メリークリスマス…ハヴ・ア・ナイス・ライフ!/ Merry christmas...Have a nice life!』を発表。ジャケットには夫のデヴィット、ブックレットにはデクランと共に写っており、収録曲の「New Year's Baby(First Lullaby)」には当時乳幼児であったデクランの声が収録されている。このアルバムを最後にソニー・レーベルとの契約が一旦終わった。
1999年、『グラミー賞 Best Dance Recording』部門にノミネートされた「Disco Inferno」がJellybean Recordsから発売されクラブチャートでヒットし、シェールと共に3か月半に及ぶ大規模な北米ツアーにでる。またアメリカのTV番組「Mad About You」に再出演したり、クリストファー・ウォーケンと共演した映画『The Opportunists』の撮影が始まる等、女優活動も精力的に行う。
2000年、映画『The Opportunists』が公開され、各方面で高い評価を受ける。またこの年、ジョニ・ミッチェル・トリビュート・コンサートに出演したり、シェリル・クロウ、ハート、デスティニーズ・チャイルド達と共にガン撲滅のためのチャリティー・ライブ『Girls With Guitar Concert』に出演する。
ロブ・ハイマン、ジャン・パルスフォード、坂本龍一等との共作曲を収録したウィリアム・ウィットマンとの共同プロデュースで7枚目のオリジナルアルバム『SHINE』を完成させ、夏にEdel America Records(エデル・レコード)から発売される予定であったが、発売直前にEdel America Records が倒産し、アルバム発売は中止されてしまう。
2004年、諸事情(上記参照)でお蔵入りとなっていた7枚目のオリジナル・アルバム『シャイン/SHINE』を日本限定で8枚目のフル・アルバムとして発表。6月には8年ぶりとなる日本ツアーが実現し、6都市全8公演を行い、変わらないパワフルなライブパフォーマンスを披露した。その後ツアーはオーストラリア、再び北米へと9月まで続けられる。2003年から続けられた『At Last Tour』の地元ニューヨーク公演を収めた、ライヴDVD『Live...At Last』が発売される。また、11月にオランダで行われた『Night of the Proms』に参加、12月にはノルウェーで行われた『ノーベル平和賞コンサート』にも参加した。翌年の2月に行われたグラミー賞では、『At Last』に収録された「Unchained Melody」が『Best Instrumental Composition Accompanying a Vocal』部門にノミネートされる。
2005年、ジェフ・ベック、サラ・マクラクラン、シャギー、アニー・ディフランコ、ヴィヴィアン・グリーン、パフィーなど、多くの豪華ゲストを迎えて、過去のヒット曲や人気曲を自らカヴァーしたセルフカヴァー・アルバム『ボディー・アコースティック/The Body Acoustic』を発表。
それにあわせて、プロモーション来日を果たし、様々なメディアに登場し、東京で開催された『GO LOHAS! 2005』のイベントでは、新作から3曲を披露した。
帰国後は北米ツアーを開始し、ツアーの合間にはアメリカン・ミュージック・アワードのステージで、サラ・マクラクランと「Time After Time」をデュエットで披露した。
2007年、6月に多数のアーティスト達と『True Colors 2007 Tour』を行う。ツアーの目的は同性愛者の権利の擁護推進のためのもので、チケット1枚につき1ドルが『Human Rights Campaign』と題された人権擁護活動に寄付された。5時間にも及ぶ大規模なショーは北米16都市で公演されて大成功を収め、参加したアーティストが曲を提供した記念盤のCDが発売される。
また、8月にはペット・ショップ・ボーイズ、シャギー等とともにシンガポールで行われたSingfestに参加した。
同8月、SUMMERSONIC 07 出演のために来日。11日の大阪舞洲サマーソニック特設会場、12日の千葉幕張メッセにて変わらないパワフルなライヴパフォーマンスをし、改めて高い評価や新たなファンを得た。その後、東京、名古屋で行われた単独ライヴでは、東京ではセカンド・アンコールが起こったり等、両日共に大盛況に終わった。
2008年5月14日に9枚目のオリジナル・アルバム『ブリング・ヤー・トゥー・ザ・ブリンク〜究極ガール/BRING YA TO THE BRINK』を発表。
オリジナル・アルバムとしては7年ぶり、メジャーでレコーディングしたフル・オリジナル・アルバムとしては12年ぶり。
TOYOTA MARK X ZiOのCFソングとしてOAされていた収録曲の『セット・ユア・ハート/SET YOUR HEART』をはじめ、全曲、ダンス・ミュージックとなっている。
アルバム発売日に合わせて来日し、東京 丸の内 丸ビル1F MARUCUBEにてニュー・アルバム発売記念ライヴをし、新曲を含めた数曲を披露。
靴を脱ぎ、ステージから降りて客席でパフォーマンスをしたり等、イベント当選者や仕事帰りの人々を楽しませ、様々なメディアにも出演した。
2008年9月にCYNDI LAUPER JAPAN TOUR2008と題し、12年ぶりの日本武道館公演を含む3都市全4回の来日公演が行われる。その後、ヨーロッパ、南米でのツアーを行う。
2016年1月、ローパーは2016年5月6日に新しいアルバムをリリースすることを発表した。このアルバムは彼女の早期カントリークラシックスの解釈で構成され、『Detour』と題された。この発表は、ハーラン・ハワードの「Heartaches by the Number」の彼女のバージョンのリリースと、Kelsea BalleriniとIngrid MichaelsonとのSkyville Liveでのパフォーマンスによって支持された。また、2016年2月17日には、ワンダ・ジャクソンの「Funnel of Love」の彼女のバージョンがリリースされた。
2016年5月、ローパーはフランスのプロデューサー、ジャン=ミシェル・ジャールによる『Electronica 2: The Heart of Noise』の「Swipe to the Right」にフィーチャーされた。この『Electronica』プロジェクトの第2弾アルバムは、電子音楽に関連するアーティストとのコラボレーションに基づいている(Tangerine Dream、Moby、Pet Shop Boysなど)。
2017年1月、ローパーはAustin City Limitsの第42シーズンに出演し、『Detour』からのカントリーチューンとともに、彼女のクラシックな曲のいくつかを披露した。このエピソードはPBSで放送された。
2020年1月26日、ローパーはロサンゼルスで開催された第62回グラミー賞授賞式で、1980年の映画『Fame』のサウンドトラックからの曲「I Sing the Body Electric」のコーラスを歌った。この授賞式は長らくグラミー賞テレビプロデューサーを務めたケン・アーリッヒへの送別の一環で、他にベン・プラット、カミラ・カベロ、オリジナルの映画に出演したデビー・アレンなどが出席した。
2020年4月23日、ローパーは新型コロナウイルスのパンデミックによって経済的に困難を抱えるLGBTQナイトライフの労働者に対する資金調達コンサートに参加し、「True Colors」を披露した。このコンサートは、歴史的なグリニッジ・ヴィレッジのゲイバーであるStonewall Inn Gives Back非営利団体によって発起され、他の出演アーティストにはケイト・ピアソン、Our Lady J、ルーファス・ウェインライト、ダレン・ヘイズなどが含まれた
2020年11月、ローパーは元トップテン「アメリカン・アイドル」ファイナリストのケイシー・エイブラムスと共演し、曲「Eve of Destruction」のカバーバージョンを制作した。
2021年11月、ローパーはShea Diamondのトラック「Blame it on Christmas」のゲストボーカルとしてフィーチャーされた。翌月には公式ビデオがリリースされた。
ローパーは2022年のMusiCares Person of the Year Tribute Showでジョニ・ミッチェルを称えるコンサートに出演した。
そのほか「お父さん・はい・少し」や「おしぼり・寿司・さしみ・水割り」など、レストランで使われる言葉や、「最高!」や「本当ねー!(I think so too)」「おやすみなさい」「頑張って!」などの簡単な日本語も話し、多少の日本語も理解できる[13][14]。
来日時のエピソード
上記にも記載されているが、1990年にはNHK紅白歌合戦への出演の為だけに来日している。当日NHKホールのステージには駕籠に乗って登場、和服をアレンジした衣装を身にまとい、ヒット曲「涙のオールナイト・ドライヴ - I Drove All Night」を歌唱した。これ以前にもNHKの音楽番組に複数回出演している。
2011年3月4日アルゼンチンのブエノス・アイレス空港で、フライト遅延や欠航が続出し、空港側に抗議が殺到。暴動にもなりかねない状況の中、たまたまその場にいたシンディはその状況をみかね[17]、空港のアナウンスマイクを使い「Girls Just Wanna Have Fun」[18] をアカペラで歌い出した。突然の空港ライヴにその場の乗客や乗務員も大喜びし、大合唱となり、みんなの表情は一変して歓喜の笑顔になり乗客たちの怒りを収め楽しませた。続いて「True Colors」もアカペラで歌っている。歌っている際に周囲にいた乗客たちが一斉に携帯電話やデジカメで撮影をしたが、シンディは気にも止めず、リズムをとりながら歌っていた。この動画は撮影した乗客がYouTubeにアップし、世界中に広まった。