上々颱風
上々颱風(シャンシャンタイフーン、Shang Shang Typhoon)は日本の音楽集団。 概要バンジョーに三味線の弦を張った「三線バンジョー」の演奏を基本に、ドラム、ベースギター、キーボードのみならず、篠笛、団扇太鼓などの和楽器、チャング、ケンガリといった民族楽器など、通常のバンドでは見られない楽器と、琉球音階などアジアの民謡を取り入れたいわゆる「無国籍音楽」を女性二人の「ツインボーカル」という独特のスタイルにより演奏される楽曲は「ちゃんちきミュージック」と自称し、多彩な衣装を特徴として日本のみならず世界各地の市場や寺社、ときには特別支援学校や講演会場など、通常はコンサート会場として使用されないような場所でも行っている。 そのオリエンタルな作風からメンバーは、奄美・沖縄出身と思われがちであるが、東日本地区出身者である。 沿革1980年、紅龍が西川郷子らと共に横須賀市で結成した「紅龍&ひまわりシスターズ」が母体。以後ライブハウスなどで徐々に人気を伸ばし、1986年に現在の上々颱風に改称した。 1990年、EPIC/SONY RECORDSから1stアルバム『上々颱風』を発売。メジャー・デビューとしては異例の10万枚を売上、デビュー曲「流れのままに」はその後、エースコックのカップラーメンのCMソングに使用された。 木の実ナナ主演のミュージカル『阿国 OKUNI』に「出雲阿国一座」のメンバーとして出演。使用楽曲のほとんどが1stアルバム『上々颱風』を基本にしていることもあり、メンバーが要所要所で登場する。 この頃大阪市の西成区にある「萩之茶屋南公園(通称:三角公園)」で演奏した際には大きな話題となった。 1991年、日本航空の沖縄キャンペーン「上々沖縄(しゃんしゃん・おきなわ)」のCMに3rdシングル「愛より青い海」が使われ、メンバーも出演。 住友生命の商品「どくしん時代」のCMではメンバーが「入った人だけ守ってあげる どくしん時代」と歌いながら登場し、話題になった[1]。 1994年、スタジオジブリ製作のアニメ映画『平成狸合戦ぽんぽこ』の作中音楽とテーマ曲「アジアのこの街で」・「いつでも誰かが」を担当。更に人気を博す。 その後も当初のスタンスの演奏活動を続けるが、日本のバンドが目標とする武道館でのコンサート開催などをすることはなかった(ただし、一度だけシンディ・ローパーの武道館公演には出演)。 2013年2月3日、公式サイトにて無期限活動休止を発表。理由は、リーダー・紅龍が病気療養のため(病名については紅龍曰く「ややデリケートな問題も含み、情報の開示は控えさせていただきたい」などの理由により公表していない)。活動再開の時期は未定だが、解散については否定している[2]。 2022年11月19日、山形県酒田市の酒田市民会館希望ホールにて開催された「白崎映美還暦大感謝祭 MOKKEDANO!!」において2013年活動休止時点のメンバーが10年ぶりに再結集、コンサート活動が一日限りで再開され、紅龍作詞作曲の新曲「生まれたままに」も披露された[3]。 コンサート会場について日本国内では離島、市場、芝居小屋、寺社、教会、廃止となった東京大学の学生寮の風呂場など、通常はコンサート会場として使用されないような場所で公演を行なうことで知られる。 海外ではタイ、マレーシア、フィリピン、フランスなどで演奏し、その様子は時々NHKのBS放送で放映されたほか、ビデオ「ベガラシャガラ ライブあれこれ」で観ることができる。 毎年7月7日前後(年によっては8月)に花園神社でライブを開催していた。 通常のコンサート会場として利用されるところでもライブを行うことはあるが、1993年に行われた中野サンプラザでの公演では座っている観客が多いなどの反応の悪さに、ボーカルの白崎映美が「中野サンプラザのイスはそんなに居心地がいいですか」「それでは上々颱風演奏会をお楽しみください」と発言したこともあった。 上々颱風祭についてかつて8月下旬(1990年のみ9月)の土日に野外コンサート「上々颱風まつり」を開催。会場は1996年まで東京都の潮見駅近くにあったウッディランド東京で行われたが、会場の都合でその後は1997年には東京臨海副都心(愛称「レインボータウン」)の野外特設ステージ(江東区有明)で、1998年からは「上々颱風パラダイス」と改称し神奈川県藤沢市の遊行寺で9月に行われた。 タイトルに「まつり」とあるとおり会場には屋台やバナナの叩き売り、南京玉簾などのコーナーもあってライブとの二部構成となっており、またメンバーも屋台に顔を出しに来て観客と談笑するなどのシーンが見られた。しかし天候に恵まれないことがよくあり、1994年は土曜日のライブが演奏途中に豪雨で中止に、1997年には開場時の炎天下から想像できないほどの大雨に見舞われるという事態もあった。また通常は土曜日と日曜日の2回公演であったが、1991年は金曜日から3回実施。しかし白崎映美がMCで「きょうは労働者の方がお休みでないせいか少ないですね」といったようにこの年だけの開催であった。 ライブの特徴についてライブ開始時・終了時にはバンドの「テーマソング」を歌う。「ほんとのことをいえば とっても退屈なの」で歌いだすオープニングと「まいどみなさまありがとう ちょうど時間となりました」で終わる構成は、どの会場でも同じであるが、オープニングのみ別の演出をすることもある。 またエンディングテーマが終わったあと、他のバンドの場合と同様に観客からアンコールの要求がかかるが、一般的な「アンコール!アンコール!」の連呼や再登場を促す手拍子ではなく、「もっともっと もっともっとぉ~」と掛け声がかかる。この「もっともっとコール」は1991年に横浜市のみなとみらい地区にある「臨港パーク」で行われたライブで発生したといわれるが、それ以前から使われていたとの声もある。 ボーカルの白崎映美がエキゾチックな風貌に不釣合いな庄内なまりで話すMCも人気を得ている。(その方言は地元NHK山形放送局の『今夜はなまらナイト』に出演した際も展開され、2009年に同番組のレギュラーになった) 活動休止前のメンバー
活動休止前に脱退したメンバーディスコグラフィーシングル
アルバムオリジナル・アルバム
ライブ
ベスト・アルバム
その他
ビデオ
書籍
テレビドラマ出演活動休止後白崎映美は上々颱風が活動休止した後に「白崎映美&とうほぐまづりオールスターズ」というグループを結成。当グループは、後の2015年に「白崎映美&東北6県ろ~るショー!!」と改名[15]し、活動している。 脚注出典
外部リンク
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