PLAYZONE『PLAYZONE』(プレゾン)は、日本のミュージカル作品。「プレイゾーン」ではなく「プレゾン」と読む。主演は2008年公演まで少年隊、それ以降はジャニーズ事務所の後輩が交代で務めている。ジャニー喜多川監修、プロデューサーは大和剛[1]。略称「PZ」。 概要少年隊デビューの翌年1986年夏に青山劇場で初演され、毎年夏に上演し続けているオリジナルミュージカル[2][注 1]。2005年の夏で20年、2007年(22年目)の夏で通算上演回数は900回を迎えた。2008年8月31日をもって23年続いた少年隊出演の『PLAYZONE』は終了[1]。少年隊の通算公演は957回、観客動員数は138万465人となっている[4]。 2009年からも『PLAYZONE』の名前は残したまま後輩が受け継いで上演してきたが、2015年、青山劇場の閉館に伴い公演も終了した[2]。通算公演回数は1232回、動員数は173万7450人を記録した[2]。 出演者は主にジャニーズ事務所所属のタレント・ジャニーズJr.だが、他に外部のダンスチームや劇団関係者も出演している。 これまでの公演主な出演者の所属グループは公演当時のもの。少年隊主演の演目名は『少年隊 35th anniversary PLAYZONE BOX 1986-2008』の表記による。
1986年『PLAYZONE'86 MYSTERY』のタイトルで上演。上演期間は1986年7月5日 - 7月27日[5]、30公演。 ダンサーを志す若者が憧れのニューヨーク・ブロードウェイを訪れる様子を描く[6]。劇中で披露される楽曲「ミステリーゾーン」、「ダイヤモンドアイズ」などの振付はマイケル・ジャクソンの振付も手掛けていたマイケル・ピータースが行った[6]。また、名倉加代子ジャズ・ダンススタジオのメンバー50人が出演し、名倉自身は「よろしくニューヨーク」などの楽曲の振付を担当した[6]。 1987年『PLAYZONE'87 TIME-19』のタイトルで上演。上演期間は1987年7月3日 - 7月26日[5]、30公演。少年隊主演の映画「19 ナインティーン」のミュージカル版。公演期間中に植草が交通事故に遭い、3日間出演できないというハプニングがあったが、錦織と東山が代わりに台詞を覚え、フォローした[8]。 1988年『PLAYZONE'88 CAPRICCO カプリッチョ -天使と悪魔の狂想曲-』のタイトルで上演。上演期間は1988年7月4日から7月31日まで青山劇場、8月23日から8月31日まで大阪フェスティバルホール[5]。計51公演。通算100回公演達成。 1989年『PLAYZONE'89 Again』のタイトルで上演。上演期間は1989年7月6日から7月30日まで青山劇場、8月3日から8月7日まで愛知厚生年金会館、8月13日から8月19日までフェスティバルホール[5]。計53公演。 1990年『PLAYZONE'90 MASK 仮面』のタイトルで上演。上演期間は1990年7月7日 - 7月29日まで青山劇場、8月11日から8月19日までフェスティバルホール[5]。計42公演。劇中劇の『ハムレット』は蜷川幸雄が演出している[10]。通算200回公演達成。 1991年『PLAYZONE'91 SHOCK』のタイトルで上演。上演期間は1991年7月4日 - 7月28日まで青山劇場、8月10日から8月14日までフェスティバルホール[5]。計41公演。堂本光一主演舞台『SHOCK』シリーズの原型[11]。 1992年『PLAYZONE'92 さらばDiary』のタイトルで上演。上演期間は1992年7月11日 - 8月2日まで青山劇場、8月12日から8月16日までフェスティバルホール[5]。計39公演。 1993年『PLAYZONE'93 WINDOW』のタイトルで上演。上演期間は1993年7月8日 - 8月1日まで青山劇場、8月13日から8月19日までフェスティバルホール[5]。計41公演。通算300回公演達成。 1994年『PLAYZONE'94 MOON』のタイトルで上演。上演期間は1994年7月5日から7月31日まで青山劇場、8月4日から8月12日までフェスティバルホール[5]。計45公演。通算観客動員数50万人突破。植草は7月24日に結婚を発表した[要出典]。 1995年『PLAYZONE'95 KING&JOKER 映画界の夢と情熱』のタイトルで上演。上演期間は1995年7月7日 - 7月30日まで青山劇場、8月9日から8月13日までフェスティバルホール[5]。計40公演。脚本・演出を錦織が担当。通算400回公演達成。 1996年『PLAYZONE'96 RHYTHM』のタイトルで上演。上演期間は1996年7月21日から8月11日まで青山劇場、8月13日から8月15日までフェスティバルホール[5]。計38公演。
1997年『PLAYZONE'97 RHYTHM II』のタイトルで上演。上演期間は1997年7月12日 - 8月3日まで青山劇場、8月8日から8月11日までフェスティバルホール[5]。計35公演。 1998年『PLAYZONE '98 5night's』のタイトルで上演。上演期間は1998年7月12日から8月9日まで青山劇場、8月15日から8月17日まで大阪フェスティバルホール[5][24]。計40公演。通算500回公演達成。 150年の眠りから目覚め、現代によみがえったバンパイアが花嫁を探すために2人の家来を従えてニューヨークへ渡るというファンタジックなストーリー[25]。3人の正体を探ろうとする街の青年たちとのふしぎな5日間を描く[26]。
1999年『 PLAYZONE '99 Goodbye & Hello 世紀末 新世紀』のタイトルで上演。上演期間は1999年7月11日から8月4日まで青山劇場、8月12日から8月15日までフェスティバルホール[5]。計41公演。 劇場に置き去りにされた双子は成長して大スターになるが、ふたりは自分たちの出生をめぐって争いが絶えない。思わず亡き父も亡霊として現れる中、やがてふたりは時代をさかのぼってゆく、というストーリー[29]。
2000年『PLAYZONE '00 "THEME PARK"』のタイトルで上演。上演期間は2000年7月16日 - 8月10日まで青山劇場、8月14日から20日までフェスティバルホール[5]。計40公演。通算600回公演達成。 新ミレニアム(千年紀)を記念したテーマパークが舞台。開場まで2日と迫り、プロジェクトチームの男たちが夢の完成に酔っているところに、メイン・コンピューターの故障などのアクシデントが襲いかかる、というストーリー[35]。
2001年『 PLAYZONE '01 "新世紀" EMOTION 』のタイトルで上演。上演期間は2001年7月14日 - 8月8日まで青山劇場、8月13日から8月17日までフェスティバルホール[5]。計44公演。 21世紀の最初の年を意識した作品で、天と地が別れたばかりの頃を舞台に、神から力を授かった3人の若き創造者(錦織、東山、植草)が登場するストーリーである[42]。
2002年『PLAYZONE '02 愛史』のタイトルで上演。上演期間は2002年7月14日から8月8日まで青山劇場、8月11日から8月15日までフェスティバルホール[5]。計42公演。通算観客動員数100万人突破。 33年に1度舞い降りるという白いワシの伝説の謎と、その鍵となる宝石「レグルスの瞳」の行方を通し、人々の愛憎と闘いを描くファンタジックな冒険活劇[48]。 2003年『PLAYZONE '03 Vacation -バケーション-』のタイトルで上演。上演期間は2003年7月14日から8月6日まで青山劇場、8月11日から8月17日までフェスティバルホール[5]。計40公演。通算700回公演達成。 少年隊の3人がそれぞれ主人公の三話のオムニバス形式でストーリーが展開されていく[54]。 2004年『PLAYZONE '04 WEST SIDE STORY』のタイトルで上演。上演期間は2004年7月2日から8月5日まで青山劇場、8月9日から8月16日までフェスティバルホール[5]。計51公演。 ブロードウェイ作品は原則映像、及び音源化不可能と言う著作権上の権利関係により、PLAYZONEシリーズの恒例であるCD化・映像化がなされておらず、2020年に発売された『少年隊35th Anniversary PLAYZONE BOX 1986-2008』にもPLAYZONE作品で唯一収録が無かった[56]。 植草は、世界的な演出家の方が配役もすべて決めるなど、それまでとの舞台の作り方の違いに戸惑ったそうで、日本では普通はまず立ち稽古から始まるところ、海外の方は配役の背景の説明、例えば、人種問題や宗教問題を理解させることから始めるので、準備が大変だったそうである。しかも、そのときは錦織が敵役だったので、演出家より「メシも一緒に行くな、味方どうしで行け」などと言われ、役作りを徹底されたそうである[57]。 2005年『PLAYZONE '05 〜20th Anniversary〜 Twenty Years …そしてまだ見ぬ未来へ』のタイトルで上演。上演期間は2005年7月6日 - 8月4日(青山劇場)、8月13日 - 17日(大阪フェスティバルホール)[64]の計44公演。20周年記念公演。公演中、劇場入り口には製作費5000万円の全長30メートルのウエルカムゲートが設置され[3]、ロビーには"20"とデコレーションされた巨大なケーキ型のオブジェが飾られ、出演者の名前が書かれたキャンドルが立てられた[65]。7月14日夜公演で通算800回公演、観客総動員数は計117万2436人となり、近藤真彦、TOKIO、KinKi Kids、V6、森光子、黒柳徹子らがお祝いに駆け付けた[66]。 20周年のメモリアルイヤーということで、内容は少年隊のキャラクターを生かしたうえで現実とリンクさせており[67]、舞台初日に向けて稽古に励む少年隊が、未来から送り込まれた使者によって過去という名のタイムカプセルに閉じ込められてしまうというストーリーになっている[68]。第1作「MYSTERY」から昨年の「WEST SIDE STORY」までの映像や主題歌、台詞なども交えてこれまでの歴史を振り返ることができるものとなっているが、今年の目玉として、東山が劇場の天井を横に20メートル移動しながら高さ25メートルから何度も飛び降りるバンジージャンプも披露された[3][64]。 千秋楽公演で通算公演回数は832回、観客総動員数は計121万9900人となった[65]。
2006年『PLAYZONE '06 Change』のタイトルで上演。上演期間は2006年7月9日 - 8月5日、40公演。岡村俊一が初めて作・演出の両方を担当した[74]。また、演出家兼振付家のヴィンセント・パターソンが作品に関わり、フライングなどを避け、ダンス、歌、芝居の演出を特化。また、ダンスもより激しく[75]メッセージ性の強いものに、演じるキャラクターも狂気や不安定さ、愛すべき人物像をそれぞれが丁寧に演じ、ユーモアとシリアス緩急つけたストーリーが展開された[76]。
2007年『PLAYZONE '07 Change2Chance』のタイトルで上演。上演期間は2007年7月9日 - 9月7日、40公演。この年から、大阪公演は梅田芸術劇場で行われる。通算900回公演達成。この作品で、研修生であった内博貴と草野博紀が復帰し[80]、植草の息子・植草裕太が12歳[81]で俳優デビューした[80]。 フリースクールの教師が、心を閉ざした生徒ケンの悩みを、知人の探偵、美容整形外科医と解決しようとする物語[82]。愛を主題に、人間は過去にとらわれず生まれ変われるかを問う[81]。フィクションと分かる第一幕から一転し[82]、第二幕は参加メンバーの個人史が反映した内容となっており[81]、主人公らがこれまでに経験した苦悩、転機を語りケンを勇気づける[82]。 当初はDVDの発売予定があったが、出演した赤坂晃が公演終了後事務所から解雇されたため、発売は中止された[83]が、2020年12月12日にリリースされる『少年隊35th Anniversary PLAYZONE BOX 1986-2008』にて初めて商品化されることとなった[84]。
2008年『少年隊 PLAYZONE FINAL 1986-2008 〜SHOW TIME Hit Series Change』のタイトルで上演。上演期間は2008年7月6日 - 8月8日(青山劇場)、8月26日 - 8月31日(梅田芸術劇場)[1]の全45公演、5万5335人動員[4]。少年隊主演としては最後のPLAYZONE[4]。23年の歴史を振り返る内容で、今までのプレゾンで使用された楽曲や少年隊のヒットメドレーなど、全体がショー形式で構成されている[88]。950公演目にあたる青山劇場千秋楽公演の終演後には、メンバー発案で作られた劇場正面の特別野外ステージで史上初の“ファンお見送りイベント”が開催され、タキシード姿の3人が「仮面舞踏会」と「Baby Baby Baby」の計2曲を披露した[8][89][90]。 2009年『PLAYZONE 2009 〜太陽からの手紙〜』のタイトルで上演。上演期間は2009年7月11日 - 8月9日(青山劇場)38公演[98]、8月21日 - 8月26日(梅田芸術劇場)[99]10公演の全48公演[100]。 少年隊主演のPLAYZONEが終わって初めてのジャニーズJr.主演による新生PLAYZONE[101]。ミュージカルとショーの2部構成で、総勢75人のジャニーズJr.が出演[101]。作・演出は錦織一清が務める[102]。 ミュージカル部分の内容は、「サマーフェスティバル」に参加する若者らが内部の不協和音を克服してショーを作り上げる、といった物語[103]。
2010年『PLAYZONE 2010 〜ROAD TO PLAYZONE〜』のタイトルで上演。上演期間は2010年7月9日 - 8月1日(青山劇場)33公演、8月14日 - 8月22日(梅田芸術劇場)11公演の全44公演[111]。 マイケル・ジャクソンの『THIS IS IT』の振り付けで知られる振付師・トラヴィス・ペインがダンスの振付を手掛けている[112]。 異国の不良少年グループ(中山優馬ら)は、今井翼、屋良朝幸らのショーに出会い、同じ舞台に立つことを夢見る。オーディションに合格するも、本番直前にグループの一人が警察に連行され、少年らは舞台出演と友情との間で揺れ動く、といったストーリー[113]。
2011年『PLAYZONE'11 SONG & DANC'N.』のタイトルで上演。2011年7月8日 - 8月7日(青山劇場)30公演、8月19日 - 8月21日(愛知・中日劇場)4公演、8月28日 - 8月31日(大阪・梅田芸術劇場)6公演上演、全40公演[117]。ストーリーダンスの箇所以外に芝居は無く、「ギンギラギンにさりげなく」や「硝子の少年」、今年の公演のために書き下ろされた「Guyz PLAYZONE」など全22曲の歌と、ジャズからヒップホップまで様々な踊りのみで構成された[118]。振付は昨年と同じくトラヴィス・ペインが担当[114]。途中、第1回からの『PLAYZONE』の映像と共に、今回のキャストの幼少期の写真が映し出される演出もあった[119]。 2011年11月2日発売のDVDが初週1.1万枚を売り上げ、オリコンDVD総合週間ランキング首位を獲得した。総合首位は2000年少年隊主演以来11年ぶりとなる[114]。 2012年『PLAYZONE'12 SONG & DANC'N。PARTII。』のタイトルで上演。2012年7月9日 - 8月11日上演、全36公演(青山劇場)[122]。
2013年『PLAYZONE'13 SONG & DANC'N。PARTIII。』のタイトルで上演。2013年7月3日 - 8月10日、青山劇場にて全40公演を上演[124]。前年同様トラビス・ペインが振付を手がけたが[125]、屋良も2曲振付を担当している[126]。今作はより歌とダンスに特化した内容となっており[125]、舞台テーマ曲以外は全篇に渡ってジャニーズのヒット曲で構成された[125][127]。近藤真彦の「ケジメなさい」や少年隊の「仮面舞踏会」など16組22曲の楽曲の他[128]、今井が滝沢秀明のソロ曲「愛・革命」を披露したり[129]、屋良が振付した「水の帰る場所」を中山が披露する場面もあった[126]。また、汗だくになった今井が途中でステージを下り、観客からハンカチを借りる演出も見られた[130][131]。
2014年(1月)『PLAYZONE→IN NISSAY』のタイトルで上演。2014年1月6日 - 1月28日上演、全30公演(日生劇場)[133]。主演は今井翼。昨年の『PLAYZONE'13 SONG & DANC'N。PARTIII。』をベースとした内容になっている[129]。
2014年(7月)『PLAYZONE 1986・・・2014★ありがとう!〜青山劇場★』のタイトルで上演。2014年7月6日 - 8月9日上演、全43公演(青山劇場)[134]。
2015年『★さよなら!〜青山劇場★PLAYZONE 30YEARS★1232公演』のタイトルで上演。2015年1月6日 - 1月22日上演[136]、全24公演(青山劇場)[137]。主演は今井翼[138] 。メニエール病からの本格復帰作となったが、医者の指示により、参加ナンバーは当初予定されていた18〜19曲から11曲へと抑えられた[136][139]。トラヴィス・ペインやステイシー・ウォーカーが演出や振付に参加している[136]。
関連作品
脚注注釈出典
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