GENTO YOKOHAMA
GENTO YOKOHAMA(ゲント ヨコハマ)は、神奈川県横浜市西区みなとみらいにかつて存在した総合エンターテインメント施設。土地の貸し出しによる暫定施設として2004年(平成16年)11月25日に開業後、約10年が経過した2015年(平成27年)1月25日に営業を終了している(後節参照)。 概要2004年2月に設置されたみなとみらい線の新高島駅は当施設の開業まで周辺一帯が空き地となっていたが、駅南東側のみなとみらい地区53街区における複合エンターテインメント施設として同年11月25日にグランドオープンを迎えた[1][2][3]。 当施設はシネマコンプレックス「109シネマズMM横浜」およびタイトーが運営するアミューズメント施設「横濱はじめて物語」からなるシネマコンプレックス・アミューズメント棟(建物全体は東急不動産および三菱地所が共同運営)、TBSテレビ(旧:東京放送)が運営するライブハウス「横浜BLITZ」(同年11月14日オープン[1])、テイクアンドギヴ・ニーズが運営する結婚式場(ハウスウェディング)「ベイサイド迎賓館・ベイサイドガーデンクラブ」(同年10月2日オープン[1])の3つのエリア(建物)から構成されていた[1][3]。 なお、施設名の「GENTO」(ゲント)は、“GENKI”(元気)な“ENTERTAINMENT”(エンターテインメント)の“OASIS”(オアシス)を意味する造語である[3][4]。 施設の閉鎖へ当施設は恒久施設ではなく土地の貸し出しによる暫定施設であり、借用期間は開業より約10年間となる2015年6月までを予定していた[5][注 2]。近年は暫定施設の10年ルールが緩和されており、契約期間終了時期の経済状況などによっては数年程度延長される可能性もあったが[6]、2015年1月25日にシネマコンプレックス・アミューズメント棟の「109シネマズMM横浜」と「横濱はじめて物語」が営業を終了[4][7]。さらに、結婚式場の「ベイサイド迎賓館・ベイサイドガーデンクラブ」も6日後の1月31日には営業を終了しており[8]、これを以て当施設全体が閉鎖となった(敷地内通路は2月2日に閉鎖[9])。なお、ライブハウス「横浜BLITZ」はこれらの施設よりも早く契約期間終了まで約1年を残した2013年10月14日に最終公演(クレイジーケンバンドが出演)を迎え、閉鎖されている[10]。
営業終了が近づくと、「FINAL GENTO」と題して様々なイベントやセールなどを実施。最終日には当施設の正面入口で「スチールパンオーケストララストライブ」も開催された。一方、施設内の109シネマズMM横浜でも1月17日〜最終日まで「Memorial Movies 横浜」として、スタッフのセレクトによる16作品がリバイバル上映(鑑賞料金:1作品500円)された。また同映画館のクロージング作品(最終上映作品)としては、閉館の前日(1月24日)より上映が開始された『ANNIE/アニー』で幕を閉じている[11][12][13]。
施設以下は営業当時の入居施設・テナントである。当施設の閉館に伴い、現在では全てのテナントが営業を終了(閉店)している。 メイン施設
その他のテナント各テナントの詳細は公式サイト内にあった「ショップ&レストラン」のアーカイブも参照。 当施設開業時のテナント
途中から入ったテナント
ギャラリー
所在地・交通神奈川県横浜市西区みなとみらい5-1
閉鎖後の土地利用![]() 当施設の建物は閉鎖より1ヶ月以上が経過した2015年3月〜5月にかけて解体されている[5][13][24]。跡地(53街区)については横浜市に返還され、新たな開発事業者の公募を同市が同年8月より実施[5][13][25]。その後、2019年3月には大林組などによるオフィス・ホテル・商業施設・オープンイノベーションスペースなどからなる複合開発(2棟)の計画が決定した[26][27][注 4](2022年8月に開発街区の名称を「横浜シンフォステージ」に決定、2024年3月完成[29])。
すずかけ通り歩道橋(グランモール公園方面と接続)手前〜みなとみらい歩道橋(横浜駅方面と接続)手前を結ぶ当施設敷地内の通路(シネマコンプレックス・アミューズメント棟と結婚式場の建物の間にあった通路でグランモール軸の一部、グランモール公園方面から新高島駅に向かう際にも近道となる)についても2015年2月に柵で囲われ通行禁止となり[9]、当施設の解体工事と共に廃止(撤去)された。しかし、その後は53街区敷地内の「暫定歩行者通路」(直線の通路)として、ハイブリッド街路灯(太陽光発電と風力発電を利用し外部電源が不要で蓄電池を内蔵しているため、停電時にも点灯可能)を設置の上で再整備され、2016年3月より供用が開始されていた[30](※上記の再開発に向けて、2020年5月時点でこの通路は閉鎖済み[31])。 脚注注釈
出典
外部リンク
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