1964年のロードレース世界選手権
1964年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第16回大会である。2月にデイトナ・インターナショナル・スピードウェイで開催されたアメリカGPで開幕し、鈴鹿で開催された最終戦日本GPまで、全12戦で争われた。 シーズン概要シーズン終盤に開催されていたアルゼンチンGPがカレンダーから外れ、代わりにアメリカGPが開幕戦となって前年同様に全12戦で争われた。ただし、5クラス全てのレースが行われたのはマン島TT、ダッチTT、ドイツGPの3戦のみであり、この年は全12戦開催されたクラスは無い。また最終戦日本GPの50ccクラスは、出場台数不足のため選手権ポイントの対象外となった[1]。 この年は500cc・350ccの大排気量クラスがシーズンを通して一方的な展開となったのに対し、250cc以下の小排気量クラスではパワフルだが重い4ストロークのホンダと、ヤマハ・スズキ・MZ・クライドラーといった2ストローク勢との争いがシーズン終盤まで続けられた。軽快な2ストロークマシンに対抗するためにホンダの多気筒化戦略はますます拍車がかかり、シーズン終盤には遂に250cc6気筒のマシンが投入されている[2]。 前年、旧いジレラのマシンで参戦したジェフ・デューク率いるスクーデリア・デュークは1年だけで活動を中止し、500ccクラスでマイク・ヘイルウッドの4気筒MVアグスタに対するのは再び単気筒マシンばかりになった[3]。一方、前年に数戦ながらグランプリに復帰して初勝利を含む活躍を見せたヤマハは、前年の最終戦でヤマハに乗ったフィル・リードをエースに据えて250ccクラスにフル参戦し、ディフェンディングチャンピオンであるホンダのジム・レッドマンとの熾烈なタイトル争いを繰り広げた[4]。 500ccクラスジレラの4気筒が撤退したことでノートンとマチレスの単気筒だけが相手となったMVアグスタのマイク・ヘイルウッドは開幕戦から5連勝を飾り、シーズン中盤の第5戦ドイツGPで早々に3年連続タイトルを決めた[5]。 ヘイルウッドが出場しなかったアルスターGPでは、シーズン途中でマチレスからノートンに乗り換えたフィル・リードが500ccクラスでの初勝利を記録した。またフィンランドGPでは、やはりノートンに乗るプライベーターでシーズンランキング2位となったジャック・アーンもグランプリ初優勝をしている。アーンはグランプリに参戦を開始して10年以上経ってからの初優勝だった[2]。 350ccクラスホンダは前年デビューしたRC172を引き続きジム・レッドマンに託し、レッドマンは8戦全勝という完全制覇で3年連続チャンピオンとなった[6][7]。500ccチャンピオンのマイク・ヘイルウッドをもってしてもダッチTTで2位に入るのがやっとだったMVアグスタは、翌年ついに新型の3気筒マシンをデビューさせることになる[8]。 250ccクラス開幕戦のアメリカGPではMZのアラン・シェパードが勝ち、ロン・グラントとボブ・ゲーリングがアメリカ人として初めてグランプリの表彰台に上がった。本格的なシーズン開幕となった第2戦スペインではタルクィニオ・プロヴィーニがベネリにグランプリ初勝利をもたらした[2]。そして第3戦以降は、ヤマハのフィル・リードとホンダのジム・レッドマンの激しい戦いが繰り広げられることになる。 ホンダの4ストローク4気筒のRC164とヤマハの2ストローク2気筒のRD56は、共に前年までのモデルをさらに熟成させたマシンだった。シーズン前半はホンダのレッドマンとヤマハのリードはほぼ互角だったが、後半戦に入ると重たいホンダのマシンは軽快さに信頼性を加えたヤマハのマシンに遅れを取り始め、リードは第7戦のドイツGPから連勝を飾って第9戦アルスターGPでヤマハのマニュファクチャラーズ・タイトルが決定した[9][10]。 2ストロークに対抗するためにより高回転・高出力を目指したホンダは完成したばかりの並列6気筒エンジンのRC165を第10戦イタリアでデビューさせた。レッドマンはこのニューマシンで序盤トップを走って見せたがオーバーヒートによって次第に順位を落とし、レッドマンをかわしたリードが4連勝となるシーズン5勝目を挙げてライダーズ・タイトルを獲得した[10][11]。 最終戦の日本GPでは、リードのリタイヤにも助けられてレッドマンが6気筒に初勝利をもたらした[10]。また、スズキは前年の最終戦でデビューした水冷スクエア4を積むRZ64を走らせたが、フランスGPでの3位表彰台が1度だけで目立った成績を残せずに終わった[12]。 125ccクラスディフェンディングチャンピオンのスズキのヒュー・アンダーソンは、ホンダチームが欠場した開幕戦に勝利して幸先のよいスタートを切った。しかし前年の最終戦でデビューした4気筒のRC146を更に改良した2RC146を投入したホンダは、第2戦のスペインGPでルイジ・タベリが勝利すると第4戦マン島TTまで3連勝、続く第5戦ダッチTTからはジム・レッドマンが2連勝と、一気にシーズンの主導権を握った[13]。アンダーソンは第7戦東ドイツ・第8戦アルスターGPと連勝して巻き返しを図ったが、タベリがフィンランドGPで4勝目を挙げて前年失った125ccクラスのタイトルを取り戻した[14]。 前年の日本GP250ccクラスのスタート直後のアクシデントで大火傷を負ったエルンスト・デグナーは第10戦のイタリアGPで約1年ぶりにサーキットに復帰し、最終戦日本GPではスズキの新型水冷マシンでこの年唯一の勝利を挙げた[15]。 50ccクラス前年は50ccクラスへの全戦参戦を見合わせたホンダだったが、この年はスズキからタイトルを奪うべくフル参戦を再開した。しかし、前年の最終戦でホンダがデビューさせた4バルブ2気筒のRC113は調子を上げることができず、シーズン前半は空冷単気筒2ストロークを熟成させたスズキのRM64を駆るヒュー・アンダーソンが第4戦マン島までに3勝を挙げて選手権を大きくリードした。ホンダはマン島で大きく改良を加えたRC114を投入するとラルフ・ブライアンズが2位でフィニッシュし、ブライアンズは続くダッチTTから3連勝でタイトル争いを互角に持ち込んだ[1]。しかしタイトルがかかったフィンランドGPでブライアンズは点火系のトラブルでリタイヤし、このレースで優勝したアンダーソンが自身にとっては2年連続の、スズキにとってはクラス創設から3年連続となるタイトルを獲得した[2][16]。 フィンランドでタイトルを決めたスズキ・チームが最終戦の日本GPを欠場したため日本GPはホンダの5台のみの出場となり、このレースは選手権のポイント対象外となった[1]。またこの年のスペインGPでは、後に軽量クラスで圧倒的な強さを誇ってスペインの国民的英雄となるアンヘル・ニエトがグランプリデビューを5位入賞で飾っている[2]。 グランプリ
(*)日本GP50ccクラスは出走台数不足ためレース不成立となった。 ポイントランキングポイントシステム
ライダーズ・ランキング500ccクラス
350ccクラス
250ccクラス
125ccクラス
50ccクラス
マニュファクチャラーズ・ランキング500ccクラス
350ccクラス
250ccクラス
125ccクラス
50ccクラス
脚注
参考文献
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