1987年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第39回大会である。
シーズンの概要
83~86年までのWGPはヨーロッパを舞台に行われていたが、開幕戦は日本GPが20年ぶりに鈴鹿サーキットで開催されたことに加え、ブラジルとアルゼンチンでもGPが開催されて名実ともに世界選手権となった年である。
また、ポルトガルの競技団体がハラマのオーガナイザーに主催権を譲渡したため、ポルトガルGPはスペインのハラマ・サーキットで行われた。安全上の理由によりそれまでの押しがけスタートからクラッチスタートに変更になった最初の年でもある。80ccクラスを1989年以降廃止し、125ccクラスを単気筒エンジンのマシンに制限することも発表された。
最高峰の500ccでは、前年度ランキング2位のワイン・ガードナーが従来のアグレッシブさに加え全戦でポイントを挙げる安定感も発揮してシーズンを通しタイトル争いをリードし、オーストラリア人として初めての500ccワールド・チャンピオンとなった。前年度王者のエディ・ローソンは5勝を挙げたにもかかわらず、中盤までの取りこぼしが響きランキング3位に終わった。雨の開幕戦を制したランディ・マモラは久しぶりにタイトル争いに割って入り、3勝を挙げてランキング2位となった。また、平忠彦と八代俊二の2人の日本人ライダーがフル参戦を果たし、それぞれランキング6位と9位という成績を収めた。
250ccでは、ベネズエラの前年度王者カルロス・ラバードが、シーズン前のクラッシュによる怪我などの影響のため振るわず、その他のヤマハ勢も総じて不安定なリザルトで苦戦を強いられた一方、代わって大量投入されたホンダワークスNSR勢によってタイトルが争われた。その内の一人であるベテランのドイツ人ライダーアントン・マンクが他の4台のホンダ・ワークスを抑えて5回目のチャンピオンを獲得した。また、ロリス・レジアーニが駆るアプリリアのマシンがサンマリノGPで優勝し、250ccクラスで優勝争いができる新たなメーカーとして名乗りをあげた。全11戦で行われた125ccクラスではガレリのファウスト・グレシーニが開幕から圧倒的な強さを発揮し、開幕10連勝を挙げ2回目のタイトルを獲得したが、最終戦のハラマでクラッシュし、惜しくもシーズン全勝を達成することはできなかった。80ccクラスはスペインのホルヘ・マルチネスが2年連続でタイトルを獲得した。
GP
最終成績
500ccクラス順位
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色 |
結果
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金色 |
優勝
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銀色 |
2位
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銅色 |
3位
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緑 |
ポイント圏内完走
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青灰色 |
ポイント圏外完走
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周回数不足 (NC)
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紫 |
リタイヤ (Ret)
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赤 |
予選不通過 (DNQ)
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予備予選不通過 (DNPQ)
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黒 |
失格 (DSQ)
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白 |
スタートせず (DNS)
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エントリーせず (WD)
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レースキャンセル (C)
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空欄
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欠場
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出場停止処分 (EX)
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太字:ポールポジション
斜体:ファステストラップ
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250ccクラス順位
125ccクラス順位
80ccクラス順位
外部リンク