1953年のル・マン24時間レース

1953年のル・マン24時間レース
前年: 1952 翌年: 1954
1953年のコース

1953年のル・マン24時間レース24 Heures du Mans 1953 )は、21回目[1]ル・マン24時間レースであり、1953年6月13日から6月14日にかけてフランスのサルト・サーキットで行われた。

概要

1952年のル・マン24時間レースピエール・ルヴェーが24時間一人で走り切ろうとしたのが危険だったため、この年から「最長受け持ち時間は連続80周、操縦時間の総計は14時間以内」とルールが決められ、一人で24時間走ることは許されなくなった[2]

メルセデス・ベンツは参加しなかった。

タルボはルヴェーを含む4台の車両を投入した[2]

出走したのは60台[3][4][1]

完走したのは26台[1][4]

ルヴェー/シャルル・ポッツィ(Charles Pozzi )組はタルボでは唯一完走し8位[2]。前年なら楽勝で優勝できるペースであった[2]

トニー・ロルト(Tony Rolt )/ダンカン・ハミルトン(Duncan Hamilton )組[2][4][1]ジャガー・Cタイプ[2][1][3]、18号車[3]が24時間で4088.064km[4][1][3][注釈 1]を平均速度170.336km/h[1][3]で走って優勝し、2位もスターリング・モス/ペーター・ウォーカー(Peter Walker )組[3]ジャガー・Cタイプ[3]17号車[3]

注釈

  1. ^ 総合優勝車の走行距離が4,000kmを超えたのは初めて。

出典

  1. ^ a b c d e f g 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』p.223「資料1」。
  2. ^ a b c d e f 『死のレース 1955年 ルマン』pp.141-158「ルヴェー」。
  3. ^ a b c d e f g h 『ル・マンの英国車』pp.50-53「1953」。
  4. ^ a b c d 『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』pp.298-303。

参考文献

  • 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』グランプリ出版 ISBN 4-87687-161-2
  • ドミニク・パスカル著、日沖宗弘訳『ル・マンの英国車』ネコ・パブリッシング ISBN 4-87366-068-8
  • 黒井尚志『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』集英社 ISBN 4-08-780158-6
  • マイク・カーン著、相原俊樹訳『死のレース 1955年ルマン』二玄社 ISBN 4-544-04043-4