鳥越神社
鳥越神社(とりこえじんじゃ)は、東京都台東区鳥越にある神社。白雉2年(651年)、日本武尊を祀って白鳥神社と称したのに始まるとされ、前九年の役のおり源頼義、源義家がこの地を訪れ鳥越大明神と改めたと伝えられている。 例大祭に出る千貫神輿は都内最大級といわれる[2]。例大祭(鳥越祭、鳥越まつり)は、例年6月に開催される。 祭神
歴史景行天皇の御代に、この地に日本武尊が良き斎庭と定めて皇祖二柱の大御神を祀った[3]。その後、白鳥村とよばれたこの地に白雉2年(651年)、村民が「白鳥明神」として奉祀したのが由緒とされる[4]。 前九年の役征圧のため源頼義、義家父子がこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り、大川(隅田川)を渡ることができた。それを白鳥明神の加護と称え、鳥越大明神の社号を奉った。 江戸時代までにここには三社の神社が成り、一帯の約2万坪の広大な敷地を所領していた。元和6年(1620年)、江戸幕府が全国の天領からの米を収蔵するため、隅田川沿いに蔵(浅草御蔵)を造営することとし、この埋め立て用に大明神のある鳥越山を切り崩すことになり、土地を没収されてしまった。さらに、大明神の北側にあった姫ヶ池も鳥越山からの客土で埋め立てられ、大名屋敷などの御用地とされた。 三社のうち熱田神社は今戸へ、第六天榊神社[3] は森田町(現・蔵前3丁目)に遷され、残った大明神が現在の鳥越神社である。 氏子を務めていた演劇評論家の安藤鶴夫によれば、昭和20年8月、太平洋戦争敗戦を知った時の宮司が、出征兵士を送り出した社として責任を感じ、境内で壮烈な割腹を行なった[5]という。 祭礼例大祭御本社宮神輿は、台輪幅4尺3寸の元祖千貫神輿で有名。狭い下町を渡御するので、大きな胴体に比べ太く短い担ぎ棒のために担ぎ手一人の負担も大きくより重く感じるので、昭和の初めより、その重さから都内で最も重い神輿と言われていた。
本社神輿は例年、日曜の朝6時50分(発輿式は6時半から)より宮出しされ、午後9時に宮入となり神社に戻る。本社神輿の列の先頭には、猿田彦(天狗)や、手古舞連、子供たちの持つ五色の旗が歩き神輿を先導し、夜8時過ぎの宮入道中では神輿の周りに提灯を付け、高張り提灯に囲まれ宮入りする。その荘厳かつ幻想的な姿により、夜祭りとしても有名で、暗闇の中を提灯の灯りがユラユラと揺れる事から、お化け神輿の別名もある。 平成9年(1997年)9月14日に、東京湾横断道路アクアラインの開通を記念し、「関東三大宮神輿」として、鳥越神社の本社神輿、富岡八幡宮(深川)の二之宮神輿と、アクアラインの千葉県側である八剱八幡神社(木更津市)の宮神輿の連合渡御が行われ、木更津の地で合同奉舁が行われた。 2019年(令和2年)以降、新型コロナウイルス感染症の影響で例大祭は縮小された。2023年(令和5年)は、4年ぶりに従来の神輿が練り歩く開催となった[6]。 氏子地域いずれも台東区内。
このうち駒形は「志ん猿」(しんさる)と呼ばれ2軒の氏子がおり、他の氏子地域22町会とやや離れている[2]。江戸幕府が火除地として召し上げた鳥越神社東側の猿屋町の町民に代替地を与えて転居させたこと与えたことから、飛び地となった[2]。千貫神輿の志ん猿への渡御は、戦後の交通戦争に伴い1958年に警察から中止要請を受けて途絶えたが、2022年に復活することになった[2]。 所在地
交通関連項目参照
参考文献
外部リンク |