第六天神社第六天神社(だいろくてんじんしゃ)は、関東地方(旧武蔵国)を中心としてその周辺に存在する神社。なお、神社によっては第六天を「大六天」と表記する場合もある。 歴史・特徴元々は神仏習合の時代に第六天魔王(他化自在天)を祀る神社として創建されたものであるが、明治の神仏分離の際、多くの第六天神社がその社名から神世七代における第六代のオモダル・アヤカシコネ(面足命・惶根命)[注 1]に祭神を変更した。 『日本民俗学 No.127』によると、『新編武蔵国風土記稿』より320余社、『新編相模国風土記稿』より140余社、『増訂・豆州志稿』より40余社の「第六天神社」を確認できたとあるように江戸時代末までは関東を中心に多く存在したが[1]、前述の神仏分離によって改称あるいは他の神社に合祀や相殿、末社となり、祠のようなものも数えれば現在でも300余社あるものの[2]、宗教法人格を持つような独立神社としては36社しかなく珍しい存在となっている[3]。なお、現在では東京都と千葉県の県境近辺に多く所在しており、神奈川県内において神社庁下の独立神社は2社に留まる[2][3][4](第六社および大六天神社を含めれば5社となる)。また、千葉県香取市の山倉大神は前述の神仏分離まで大六天王(第六天魔王と同一)を祀っており(現在では近距離に所在する真言宗山倉山観福寺に遷座)、大六天王社の総社とされていた。 一方、第六天神社が所在する分布にも大きな特徴があり、東日本において関東の旧武蔵国を中心に旧相模国、旧伊豆国などに存在するが[5]、西日本では皆無となっている[3][4]。これは神奈川県神社庁の 『かながわの神社ガイドブック』(1997年、かなしん出版)によると、戦国時代の覇者である織田信長が篤く信奉していたとされることから、天下統一の跡を継いだ豊臣秀吉が第六天の神威(しんい)を恐れ、拠点としていた西日本の第六天神社を尽く廃社したためという[3][4]。なお、信長が信奉し自ら「第六天魔王」と名乗っていたとされるのは、イエズス会宣教師ルイス・フロイスの書簡の中で紹介されている、武田信玄と信長が書状のやり取りをした際の話からきており、それによると「信玄がテンダイノザス・シャモン・シンゲン(天台座主沙門信玄)と署名したのに対して、信長は仏教に反対する悪魔の王、ドイロクテンノ・マオウ・ノブナガ(第六天魔王信長)と署名して返した」とされるが、実際に自ら名乗っていたという文献などは他に存在しない[6]。 この他、祭神については前述の第六天魔王から神世七代第六代の神に変更されたケース以外に、東京都墨田区押上や葛飾区西亀有の高木神社(旧称:第六天社)のように高木の神(タカミムスビ:日本書紀では高皇産霊神、古事記では高御産巣日神)を祭神としている場合[7]や宮城県名取市の第六天神社のようにそもそも第六天魔王とは関係がなく天神を祀っている神社もある[8][9][10]。また、さいたま市岩槻区にある武蔵第六天神社でも御使役の天狗様や社殿に宿る大天狗・烏天狗など天狗と関連付けられている[11]。 主な第六天神社現在でも社名に「第六天」(大六天)の名前が残っている主な神社を以下に記す。鎮座地の分布については関東地方が中心であるが、東北地方や中部地方(甲信越[12]・東海地方)にも存在している。一方で、長野県および静岡県より以西にはほとんど見られない。 登記上の宗教法人名称としては、「第六天神社」が19社、「第六天社」が4社、「第六天宮」が1社、「第六社」が2社、「大六天神社」が5社、「大六天社」が3社、「魔王天神社」が2社の計36社が存在する。地名などを冠して社名に含む神社は存在しない。例えば、「武蔵第六天神社」「第六天榊神社」の正式な社名はそれぞれ「第六天神社」「榊神社」である。宗教法人格が存在するものについては以下に ☆ をつけて表す。 東北地方
関東地方
中部地方
改称された主な旧第六天神社
改称されている主な旧第六天神社(第六天社・大六天社などを含む)のうち、現在は「第六天」(大六天)と名乗らない神社を以下に記す。なお、以下には過去に「第六天」(大六天)と呼ばれた社を合祀している神社も含む。
脚注注釈出典
参考文献
関連項目外部サイト
|