金 殷中(キム・ウンジュン、1979年4月8日-)は、韓国出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。
生まれつき左目の視力がかなり悪いハンデを乗り越えてプロ選手となった。ベガルタ仙台在籍時は伊達政宗になぞらえて独眼竜との通称も。
来歴
クラブ
1997年に東北高等学校を中退して大田シチズンに入団。2001年、FAカップ決勝の浦項スティーラース戦では決勝点を奪い優勝に貢献、MVPを獲得。財政的に苦しむクラブの看板選手として長年活躍する。2003年のKリーグでシーズン途中で得点王争いに加わり、韓国代表メンバーにも選ばれた彼にマルコスの負傷離脱で得点源を失ったベガルタ仙台が目を付け、期限付き移籍にて加入。加入初戦のセレッソ大阪戦でゴールを奪うなどしたが、この年ベガルタはJ1リーグ15位でJ2へ降格となり救世主とはなれなかった。
期限付き移籍期間の終了後、FCソウルへ移籍金10億ウォンで移籍した。2009年、自由契約となり済州ユナイテッドFCや新設された江原FCと接触したが契約はまとまらず、選手登録締切日までに所属チームが決まらなかったため2009年シーズンのKリーグでの出場が出来なくなってしまう[1]。その後、殷中に高い関心を示していた中国スーパーリーグの長沙金徳足球倶楽部と8ヶ月の期間で契約[2]。
2010年、済州ユナイテッドに加入。主将として活躍し、昨年度リーグ14位だった済州をリーグ2位・FAカップベスト4という好成績に導いた。また、自身もKリーグMVP・ベストイレブンを受賞した。
2011年7月2日のKリーグ第16節・江原FC戦で2ゴールを決め、史上7人目となるKリーグ通算100ゴールを達成した[3]。
2012年シーズンより江原FCに移籍。2013年7月、浦項スティーラースへレンタル移籍。2014年より大田シチズンに復帰。このシーズンを最後に現役を引退した。
代表
1998年のAFC U-19選手権では李東国との2トップを形成して活躍。1999年11月22日、中国代表との定期戦でAマッチデビューを果たす。2004年のAFCアジアカップのメンバーにも選ばれ、A代表通算15試合5得点を記録。
指導者
2015年、AFCテュビズのコーチに就任した。2017年には暫定監督を務めた。2017年10月31日、韓国U-23代表のコーチに就任した。
2022年、U-20韓国代表監督に就任し、2023 FIFA U-20ワールドカップのグループリーグでフランス代表を破るなど2大会連続のベスト4入りを果たした。
2023年12月20日、金徒均の後任として水原FCの5代目監督に就任[4]。自身初となるトップチーム監督の挑戦であったが、2023年シーズンに入れ替え戦で辛くもKリーグ1残留を決めた同クラブを翌2024年シーズンに5位に導いた。勝ち点53はクラブ史上最多記録である。2024年12月23日、水原FCとの契約を2026年まで延長したことが発表された[5]。
所属クラブ
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
韓国
| リーグ戦 |
リーグ杯 | FA杯
|
期間通算
|
1997 |
大田 |
|
Kリーグ |
14 |
0 |
|
|
|
|
|
|
1998 |
|
29 |
6 |
|
|
|
|
|
|
1999 |
18 |
24 |
4 |
|
|
|
|
|
|
2000 |
20 |
5 |
|
|
|
|
|
|
2001 |
31 |
9 |
|
|
|
|
|
|
2002 |
27 |
7 |
|
|
|
|
|
|
2003 |
22 |
11 |
- |
- |
22 |
11
|
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2003 |
仙台 |
9 |
J1 |
10 |
2 |
- |
1 |
0 |
11 |
2
|
韓国
| リーグ戦 |
リーグ杯 | FA杯
|
期間通算
|
2004 |
ソウル |
22 |
Kリーグ |
24 |
8 |
5 |
0 |
0 |
0 |
29 |
8
|
2005 |
18 |
20 |
7 |
10 |
0 |
1 |
1 |
31 |
8
|
2006 |
25 |
9 |
12 |
5 |
3 |
2 |
40 |
16
|
2007 |
9 |
0 |
7 |
4 |
1 |
1 |
17 |
5
|
2008 |
15 |
4 |
6 |
1 |
1 |
0 |
22 |
5
|
中国
| リーグ戦 |
リーグ杯 | FA杯
|
期間通算
|
2009 |
長沙金徳 |
|
超級 |
28 |
7 |
|
|
|
|
|
|
韓国
| リーグ戦 |
リーグ杯 | FA杯
|
期間通算
|
2010 |
済州 |
18 |
Kリーグ |
30 |
13 |
4 |
4 |
4 |
3 |
38 |
20
|
2011 |
|
|
|
|
|
|
|
|
2012 |
江原 |
|
|
|
|
|
|
|
|
通算 |
韓国 |
Kリーグ
|
290 |
83 |
|
|
|
|
|
|
日本 |
J1
|
10 |
2 |
- |
1 |
0 |
11 |
2
|
中国 |
超級
|
28 |
7 |
|
|
|
|
|
総通算
|
328 |
92 |
|
|
|
|
|
|
Jリーグ初出場・初得点:2003年8月30日 J1 2nd第3節 vsセレッソ大阪(長居スタジアム)
代表歴
- U-18、U-19、U-20韓国代表(1997年-1999年)
- U-22韓国代表(1999年)
- 韓国代表(1998年-2004年)
試合数
- 国際Aマッチ 15試合 4得点(1998年-2004年)[6]
韓国代表 | 国際Aマッチ |
年 | 出場 | 得点 |
1998 |
5 |
1
|
1999 |
0 |
0
|
2000 |
2 |
2
|
2001 |
0 |
0
|
2002 |
1 |
0
|
2003 |
1 |
0
|
2004 |
6 |
1
|
通算 |
15 |
4
|
タイトル
選手時代
- 大田シチズン
- FCソウル
- 浦項スティーラース
- U-20韓国代表
- 韓国代表
- 個人
- FAカップMVP:1回(2001)
- FAカップ得点王:1回(2001)
- KリーグMVP:1回(2010)
- Kリーグベストイレブン:2回(2006、2010)
- Kリーグオールスター戦MVP:1回(2004)
脚注
関連項目
外部リンク
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1980年代 |
- 80: 朴潤基, 李太洪, 李春錫, 金鏞世
- 84: 崔淳鎬, 李泰昊, 白鍾哲
- 85: 金鏞世, ピアポン, 康得壽
- 86: 金鏞世, 丁海遠, 咸鉉起
- 87: 崔相國, 丁海遠, 金鋳城
- 88: 李基根, 咸鉉起, 申東喆
- 89: 尹相喆, 趙兢衍, 魯壽珍
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1990年代 |
- 90: 尹相喆, 李泰昊, 宋柱錫
- 91: 李基根, 高正云
- 92: 朴昶鉉, 林根裁
- 93: 車相海, 尹相喆
- 94: 尹相喆, ラデ, 金京來
- 95: 黄善洪, 盧相來
- 96: ラデ, セルゲイ
- 97: マニッチ, スカチェンコ
- 98: 金鉉錫, シャシャ
- 99: 安貞桓, シャシャ
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2000年代 |
- 00: 崔龍洙, 金度勲
- 01: 禹成用, サンドロC
- 02: 金大儀, 柳想鐵
- 03: 金度勲, マグノ
- 04: ナドソン, モタ
- 05: 朴主永, マチャド
- 06: 禹成用, 金殷中
- 07: カボレ, 李根鎬
- 08: エドゥー, 李根鎬
- 09: 李同国, デニルソン
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2010年代 |
- 10: デヤン, 金殷中
- 11: デヤン, 李同国
- 12: デヤン, 李同国
- 13: デヤン, 金信煜
- 14: 李同国, サントス
- 15: 李同国, アドリアーノ
- 16: 鄭助國, アドリアーノ
- 17: ジョナタン, 李根鎬
- 18: マルコン, ジュニオ
- 19: タガート, ジュニオ
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2020年代 | |
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MVP - 得点王 - アシスト王 - 若手選手賞 - ベスト11(GK - DF - MF - FW) |