チャ・ドゥリ (チャ・ドゥリ, 차두리, 1980年7月25日 - ) は、韓国の元サッカー選手、現サッカー指導者。元韓国代表。現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー、フォワード。
来歴
生い立ち
韓国サッカー史上最高の選手とも言われる車範根(チャ・ボングン)の実子。父・範根がブンデスリーガのアイントラハト・フランクフルトでプレーしていた1980年にドイツのフランクフルト・アム・マインで生まれた。のちに父が現役を退いた1989年までドイツで過ごす。
クラブ
2002 FIFAワールドカップ終了後、アルミニア・ビーレフェルトとプロ選手契約。1年間プレーした後、2003年に生まれ故郷でありかつて父が所属していたアイントラハト・フランクフルトに移籍した。また2005年の2月に中田英寿、ジネディーヌ・ジダンらが参加して行われた『スマトラ沖地震被災者支援チャリティーマッチ』では、親善試合ながら強烈なミドルシュートも決めている。2006-07シーズンは1.FSVマインツ05でプレーしていたが出場機会に恵まれず2007年6月に2部リーグのTuSコブレンツに移籍。2009-2010シーズンからは、1部に昇格したばかりのSCフライブルクに移籍。
2010年7月、英国の労働ビザ取得を前提としてセルティックFCと2年契約(1年の延長オプション付き)を結んだ[2]。
2012年6月、ブンデスリーガ1部に昇格したフォルトゥナ・デュッセルドルフに完全移籍しドイツに復帰した。
2013年2月、フォルトゥナ・デュッセルドルフとの契約を解除した[3]。同年3月25日、Kリーグ・FCソウルと契約し、初めて韓国のプロクラブでプレーしている。
2015年シーズンをもって現役を引退した。
代表
高麗大学校に在籍していた2001年、韓国代表チームとの練習試合に出場した際、当時の代表監督フース・ヒディンクに見出され、程なくして2002 FIFAワールドカップに臨む韓国代表メンバーにアマチュア選手ながら選出された。本大会ではレギュラーメンバーではなかったものの、主にウイングのポジションで計4試合に出場し、韓国チームの大会ベスト4進出という快挙を経験した。
2009年10月14日のセネガル戦では、3年ぶりとなる代表復帰を果たし、2010 FIFAワールドカップにも出場した。AFCアジアカップ2011のウズベキスタンとの3位決定戦では欠場したパク・チソンに代わり、初めてキャプテンを務めた。
2014年12月2日、AFCアジアカップ2015を最後に代表から引退することを表明した[4]。
指導者
選手引退後は韓国代表コーチやFCソウルU-18チームである五山高等学校サッカー部監督を務め、ユルゲン・クリンスマンが監督を務めていた時期の韓国代表では参謀としてクリンスマンとドイツ語で意思疎通を図る役割を担っていたとされる。
2024年11月22日、Kリーグ2に新規参入する華城FC監督に任命された。ただし、この時点でKリーグクラブで指揮を執るために必要となるKFA P級ライセンス未取得である[5]。
人物
名の「ドゥリ」とは朝鮮語で「2つ/2番目」という意味であり、生まれた順番によってつけられたものであるが(姉はハナ:1つ、弟はセチ:3つ)、韓国では本来は使われない珍しい名前である。また固有語なので漢字表記もない。
ドイツ生まれだが、ドイツも韓国も法律的に血縁による国籍の取得だけを認めているため、ドイツ国籍は持っていない。2008年に1歳年上の韓国人女性と結婚した。2010年2月に娘が生まれた。
エピソード
- フランクフルト時代、自軍のチャンスを潰すことから“チャンスキラー”と呼ばれており、入れ替わるように加入した高原直泰も結果を出すまで“第2のチャンスキラー”という懐疑的な目で見られていた。[6]
- 口数が多いことから“ラジオ”という愛称がある[1]。
- AFCアジアカップ2011準決勝、日本対韓国にて、キ・ソンヨンが得点の際に猿の物真似をするという人種差別的パフォーマンスをして問題とされた後には、スコットランド人がキ・ソンヨンに対し猿のマネで差別的行動をしたためであると報告し、その件について、車ドゥリはスコットランド人がキ・ソンヨンに対して猿のマネをして差別的な行動を取ったと話した[7]。しかし、スコットランドでは、セルティックFCの相手チームのファンが取った行動は猿ではなく、韓国で伝統的に食される犬の鳴き声をマネたものであると報道された[8]。
所属クラブ
個人成績
代表歴
出場大会
試合数
- 国際Aマッチ 75試合 4得点(2001年-2015年)[9]
韓国代表 | 国際Aマッチ |
年 | 出場 | 得点 |
2001 |
3 |
0
|
2002 |
16 |
1
|
2003 |
4 |
0
|
2004 |
9 |
3
|
2005 |
5 |
0
|
2006 |
1 |
0
|
2007 |
0 |
0
|
2008 |
0 |
0
|
2009 |
3 |
0
|
2010 |
10 |
0
|
2011 |
13 |
0
|
2012 |
0 |
0
|
2013 |
0 |
0
|
2014 |
5 |
0
|
2015 |
6 |
0
|
通算 |
75 |
4
|
脚注
外部リンク
タイトル・受賞歴 |
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1980年代 |
- 83: 朴成華, 金哲洙, 張外龍, 李康助
- 84: 鄭龍煥, 朴景勳, 朴成華, 鄭鍾洙
- 85: 張外龍, 韓文培, 崔康熙, 金哲洙
- 86: 趙榮增, 金平錫, 崔康熙, 朴魯鳳
- 87: 具相範, 崔基奉, 鄭龍煥, 朴景勳
- 88: 崔康熙, 崔泰鎭, 孫炯先, 姜太植
- 89: 林鐘憲, 趙允煥, 崔允謙, 李榮益
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1990年代 |
- 90: 林鐘憲, 崔榮俊, 崔泰鎭, 李在熙
- 91: 鄭龍煥, 朴鉉用, テッド
- 92: 洪明甫, 李鐘和, 朴正倍
- 93: 崔英一, 李鐘和, 柳東官
- 94: 安益洙, 柳想鐵, 洪明甫, 許起泰
- 95: 崔英一, 洪明甫, 許起泰
- 96: 尹星孝, 金鋳城, 許起泰
- 97: 金鋳城, マシエル, 安益秀
- 98: 安益秀, マシエル, 李林生
- 99: 姜喆, 金鋳城, マシエル, 辛弘基
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2000年代 |
- 00: 姜喆, 李林生, 金鉉洙, マシエル
- 01: ウルモヴ, 金鉉洙, 金容熙, 李榮杓
- 02: 金鉉洙,金泰映,崔眞喆, 洪明甫
- 03: 崔眞喆,金泰映,金鉉洙, サントス
- 04: サントス, 柳京烈, ムサ, 郭熙柱
- 05: 林重容, 柳京烈, 趙容衡, 金泳徹
- 06: 張學英, マト, 崔眞喆, 金泳徹
- 07: アディ, マト, 黄載元, 張學英
- 08: アディ, マト, 朴東赫, 崔孝鎭
- 09: 金相植, 金亨鎰, 黄載元, 崔孝鎭
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2010年代 |
- 10: アディ, 洪正好, サーシャ, 崔孝鎭
- 11: 朴原載, 郭泰輝, 趙晟桓, 崔喆淳
- 12: アディ, 鄭仁煥, 郭泰輝, 金昌洙
- 13: アディ, 金致坤, 金源一, 李鎔
- 14: 洪喆, 金周栄, ウィルキンソン, 車ドゥリ
- 15: 洪喆, ヨニッチ, 金基熙, 車ドゥリ
- 16: 鄭澐, オスマル, ヨニッチ, 高光民
- 17: 金珍洙, 金玟哉, 呉反錫, 崔喆淳
- 18: 洪喆, 金玟哉, リチャード, 李鎔
- 19: 洪喆, 洪正好, 李鎔, 金太煥
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2020年代 |
- 20: 姜祥佑, 権敬源, 洪正好, 金太煥
- 21: 李記帝, ブルトゥイス, 洪正好, 姜祥佑
- 22: 金珍洙, 金英權, 朴鎭燮, 金太煥
- 23: ワンデルソン, 金英權, グラント, 薛英佑
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MVP - 得点王 - アシスト王 - 若手選手賞 - ベスト11(GK - DF - MF - FW) |
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