李榮杓

李 榮杓
名前
愛称 yp
カタカナ イ・ヨンピョ
ラテン文字 Lee Yong-pyo
ハングル 이영표
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
生年月日 (1977-04-23) 1977年4月23日(47歳)
出身地 江原道洪川郡
身長 176cm
体重 66kg
選手情報
ポジション MFLSH[1]
DF両SB[1]
利き足 右足
ユース
1997-1999 大韓民国の旗 建国大学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2002 大韓民国の旗 安養LG 60 (3)
2003-2005 オランダの旗 PSVアイントホーフェン 81 (1)
2005-2008 イングランドの旗 トッテナム・ホットスパーFC 70 (0)
2008-2009 ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント 18 (0)
2009-2011 サウジアラビアの旗 アル・ヒラル 46 (0)
2012-2013 カナダの旗 バンクーバー・ホワイトキャップス 65 (1)
代表歴2
1999-2002 大韓民国の旗 韓国 U-23 23 (1)
1999-2011 大韓民国の旗 韓国 127 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年5月8日現在。
2. 2016年5月8日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

李 榮杓イ・ヨンピョ이영표1977年4月23日 - )は、大韓民国出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはミッドフィールダーディフェンダー[1]。2021年から江原FC代表取締役および大韓サッカー協会副会長を務めている。

来歴

クラブ

2002年日韓W杯で韓国を率いたフース・ヒディンクに高く評価され、大会後にオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍。瞬く間にレギュラーポジションを確保し、2度のリーグ優勝を経験。05年の欧州チャンピオンズリーグではチームのベスト4に貢献。準決勝のACミラン戦では、対峙したカフーを幾度と無く抜き去り、注目を集める。大会後の2005-2006シーズンからはイングランドプレミアリーグトッテナム・ホットスパーでプレーした。

2006年夏の移籍市場でイタリアセリエAASローマへの移籍話がほぼまとまっていたが、本人が直前に移籍を拒否する騒動があった。「(移籍中止は)宗教上の理由」とイタリア紙は報じたが、イギリス紙によれば「(ヨンピョは)引退後を考え英語圏でプレーすることを望んだ」と報じている。

2007-2008シーズンは新加入のアラン・ハットンジウベルトらにレギュラーを奪われ、2008-2009シーズンにドイツ・ブンデスリーガボルシア・ドルトムントへ移籍した。

2009年7月にサウジアラビアの強豪アル・ヒラルへ移籍。レギュラーとして活躍し、チームの優勝に貢献した。

2011年12月にメジャーリーグサッカーバンクーバー・ホワイトキャップスに移籍した。

2013年10月22日に今シーズン限りでの現役引退を表明した[2]

代表

2010 FIFAワールドカップでは全4試合にフル出場し、韓国のベスト16進出に貢献。AFCアジアカップ2011でもレギュラーとしてベスト4入りに貢献した。準決勝の日本戦での敗退後、代表引退を表明した[3]

エピソード

  • オランダPSV時代の同僚だった、同じ韓国出身の朴智星が内向的だったのとは対照的に、李は英語が流暢で外向的な性格。PSVで絶対的なチームリーダーだったマルク・ファン・ボメルとも試合中に意見を戦わせるシーンが少なくなかった。
  • 2005-2006シーズンのイングランドプレミアリーグで、マンチェスター・ユナイテッド朴智星と直接対決。この時、李は自陣ゴール前でフェイントで朴をかわそうとしたが、執拗に追われてボールを奪われ、アシストを献上。
  • 敬虔なクリスチャンであり、グラウンドで身をかがめて祈るシーンを良く見かけられる。
  • 2005年の夏にASモナコが500万ユーロのオファーを出したが、当時所属していたPSVがこれを拒否していた。当時監督を務めていたヒディンクは、「モナコはバカンスに行く所。ステップアップにもならない移籍は後押しできない」と本人を納得させた。
  • 非常な努力家として知られ個人練習も欠かさない。しかし欧州で成功した最も大きい要因は前述の通り自己主張の強さと見る評論家が多い。
  • 引退後にフットウェアスタートアップである「SOCKS UP」を創業している。
  • 2021年1月1日から江原FCの代表取締役に就任[4]。同年3月3日には大韓サッカー協会副会長に選任された[5]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2000 安養LG 12 Kリーグ 15 2 3 0 0 0 18 2
2001 22 0 7 0 1 0 30 0
2002 23 1 0 0 1 0 24 1
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
2002-03 PSV 3 エールディヴィジ 15 0 0 0 2 0 17 0
2003-04 26 0 0 0 2 0 28 0
2004-05 31 1 0 0 4 0 35 1
2005-06 3 0 0 0 0 0 3 0
イングランド リーグ戦 FLカップFAカップ 期間通算
2005-06 トッテナム 3 プレミアリーグ 31 0 1 0 0 0 32 0
2006-07 21 0 1 0 5 0 27 0
2007-08 18 0 4 0 2 0 24 0
ドイツ リーグ戦 リーグ杯DFBポカール 期間通算
2008-09 ドルトムント 3 ブンデス1部 18 0 - 2 0 20 0
サウジアラビア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2009-10 アル・ヒラル 12 サウジ・プロ 22 0 4 0 4 0 30 0
2010-11 24 0 0 0 0 0 24 0
カナダ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2012 バンクーバー・ホワイトキャップス MLS 33 1 0 0 2 0 35 1
2013 32 0 0 0 2 0 34 0
通算 韓国 Kリーグ 60 3 10 0 2 0 72 3
オランダ エールディヴィジ 75 1 0 0 8 0 83 1
イングランド プレミアリーグ 70 0 6 0 7 0 83 0
ドイツ ブンデス1部 18 0 0 0 2 0 20 0
サウジアラビア サウジ・プロ 46 0 4 0 4 0 54 0
カナダ MLS 65 1 0 0 4 0 69 1
総通算 334 5 20 0 27 0 381 5
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
UEFAUEFA ELUEFA CL
2003-04 PSV 3 2 0 6 0
2004-05 PSV 3 - 12 0
2006-07 トッテナム 3 4 0 -
2007-08 トッテナム 3 6 0 -
2008-09 ドルトムント 3 2 0 -
通算 UEFA 14 0 18 0

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 130試合 4得点(1999年-2011年)[6]


韓国代表国際Aマッチ
出場得点
1999 3 0
2000 20 3
2001 15 0
2002 21 0
2003 4 0
2004 12 0
2005 8 1
2006 10 0
2007 2 0
2008 7 0
2009 11 0
2010 11 0
2011 6 0
通算 130 4

脚注

外部リンク