金峰山晴樹
金峰山 晴樹(きんぼうざん はるき、1997年6月24日 - )は、カザフスタン共和国アルマトイ出身[2]、木瀬部屋所属の現役大相撲力士。本名はバルタグル・イェルシン[3](カザフ語: Ерсін Балтағұл)。身長195.0cm、体重180.0kg。最高位は東前頭5枚目(2023年5月場所)。 来歴来日前は柔道をしていたが、ドルゴルスレン・ダグワドルジ(元横綱・朝青龍)の紹介で18歳の時に日本の日出高校(現・目黒日本大学高校)に編入学し、相撲を始めた[4]。日本大学スポーツ科学部競技スポーツ学科に進学後は日本大学相撲部に所属した[5]。3年次(2019年度)に学生選手権団体優勝、全日本選手権個人準優勝の実績を残す[4]。4年次(2020年度)には学生選手権で3位になり、全日本選手権ではベスト16に入った[4]。 大学卒業後は日大の勧めで大相撲の世界へ進むことになり[5]、日大OBが師匠の木瀬部屋に入門した[4]。木瀬部屋としては臥牙丸(ジョージア(旧グルジア)出身)に続く外国出身力士である。カザフスタン出身力士としては風冨山以来2人目である。入門後は研修期間を経て2021年9月場所の新弟子検査に合格[4]。興行ビザの取得を待って同年11月場所で初土俵を踏んだ。四股名は、師匠・11代木瀬(元幕内・肥後ノ海)の故郷にある金峰山[注 1]と、日大在学中に死去した元高校横綱で11代木瀬とは大学の同期だった成田晴樹に由来する[1]。本人は四股名の由来となった金峰山を富士山ぐらいのスケールだと想像していたが、実際に足を運んで高尾山ぐらいのスケールと知ってガッカリしたという[6]。2020年全国学生相撲選手権ベスト4のため三段目最下位(100枚目)格付出でのデビューとなり[7]、この場所は7戦全勝で三段目優勝を果たした[8]。 幕下に昇進した2022年1月場所は5勝2敗で勝ち越し。翌3月場所は7戦全勝で幕下優勝を飾った[9]。翌5月場所は西幕下4枚目に番付を上げ、成績次第で十両昇進が見える地位となった。この場所では6番相撲で5勝1敗とこの時点で新十両昇進の可能性が生まれた[10]。千秋楽の7番相撲で初めて十両の土俵に上がり、東十両5枚目の北の若と対戦。"入れ替え戦"の意味合いが強かった一番だったが突き落としで敗れ5勝2敗となり、新十両は見送られた[11]。翌7月場所は西幕下筆頭の地位で6連勝、7番相撲で吉井に敗れ優勝こそ逃したものの6勝1敗の好成績で終え、場所後の7月27日に開催された番付編成会議にて十両昇進が発表された[12]。新十両昇進の際に「(目標は)何もないですけど、上ばかり考えて上がれなかったらアウトなので、幕内なら幕内で1つずつ考えたい」と抱負を語った[13]。その9月場所は13日目に勝ち越しを確定させ[14]。千秋楽に栃武蔵との新十両対決を制して10勝5敗と2桁勝利を挙げた[15]。初めて髷を結って迎えた11月場所では千秋楽に勝ち越した。2023年1月場所では東十両5枚目の地位で11勝4敗の成績を挙げ、場所後の新入幕が濃厚となった[16]。3月場所で新入幕、東前頭14枚目に昇進、カザフスタン出身初の幕内力士となった。日本国外出身としては2022年9月場所の水戸龍(モンゴル)以来52人目で、日本大学出身としては同じく水戸龍以来40人目、木瀬部屋としては2019年5月場所の志摩ノ海以来の新入幕となる[17]。新入幕会見では「できれば1、2場所ぐらいは早く上がりたいなと思っていた」と語り、師匠の木瀬も「突っ張りを磨けば9割は勝てますから。三役ぐらいまでは突っ張っていってほしいですね。勝ちにこだわらず、小手先で取らない相撲をしてほしい」と願った。本人は「関取を目指して、また若い衆が来てほしいです」と期待していた[18]。この場所は11勝4敗で自身初の三賞である敢闘賞を受賞[19]。翌5月場所の番付は東前頭5枚目と9枚上昇し、この場所の関取(十両以上)の中では最大の上昇幅となった[20]。 西前頭8枚目の地位に在位した2024年7月場所から2場所連続で4勝11敗と負け越したことにより、11月場所では10場所連続で務めた幕内から陥落したが、その場所では12勝3敗の好成績を挙げて十両優勝を果たし、再入幕を確実とした。十両優勝については「そこまで…」と喜びも控えめだったが、「優勝できたのは、負けた後に切り替えられたから」、そして再び幕内に戻る来場所に向けて「楽しみ」と語った[21]。 西前頭14枚目で迎えた2025年1月場所では、初日から連勝街道を走り9連勝、10日目に阿炎に変化されたことで土がついたが、そこからは豊昇龍に敗れただけで12勝2敗として、優勝戦線のトップで千秋楽に挑んだ。千秋楽では本割で王鵬に敗れ、決定戦でも豊昇龍に敗れて優勝はならなかったが、敢闘賞を受賞した。 取り口基本的には長いリーチを生かしたもろ手突きからの突き押し相撲を得意としているが、四つに組み止める相撲もある[22]。 2025年1月場所中のデイリースポ―ツの記事では、武蔵川親方(元横綱・武蔵丸)から手も足もよく出る迷いのない突き押しを評価された[23]。 人物大砂嵐金崇郎に次ぐ史上2人目のムスリムの幕内力士である。ムスリムなので戒律に従って豚肉は食べず酒は飲まず、部屋のちゃんこも彼に配慮してハラール食となっている。好物は刺身・寿司(特にサーモン)[24]。 主な成績2025年1月場所終了現在 スピード記録
通算成績
各段優勝
三賞・金星
場所別成績
合い口2025年1月場所終了現在 (以下は最高位が横綱・大関の現役力士)
(以下は最高位が横綱・大関の引退力士) 幕内対戦成績
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。太字は2025年1月場所終了現在、現役力士。
改名歴
脚注注釈出典
関連項目外部リンク
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