生田目竜也
生田目 竜也(なばため たつや、2002年2月22日 - )は、栃木県さくら市出身(出生地は大田原市)で、二子山部屋所属の現役大相撲力士。本名同じ。身長176.5cm、体重151.5kg。最高位は東十両14枚目(2024年11月場所-2025年1月場所)。 来歴タイ出身の母と日本人の父との長男として栃木県大田原市に生まれたが、父は生田目が小学生の時に家を出て以降、生活が困窮し、また母は日本語が苦手であったこともあり心身ともに不調となり、中学1年生の時に栃木県矢板市の支援施設に、中学2年生の2学期だった14歳の時からは栃木県さくら市の養護施設に預けられた[1]。養護施設に預けられてからも母は定期的に訪問に訪れていた[2]。中学時代は野球部と吹奏楽部に所属したほか、水泳や卓球にも取り組んだが[3]、小学生の時に栃木県のわんぱく相撲で2位となった以降は[2]中学校の頃まで本格的に相撲に取り組んだことは無かった[4]。しかし、中学時代の教師が栃木県立矢板高等学校の相撲部監督の息子という縁もあり、同高校進学後は相撲部に入部し、本格的に相撲を始めた[5][4]。1年時に大相撲の14代二子山(元大関・雅山)から勧誘を受けて大相撲入りを決意[6]。1年時から団体戦で大将を任され、2、3年時には全国高校総体個人戦に出場[6]。2年時には関東高等学校選抜相撲大会で準優勝[7]、国体にも2年連続で出場した[6]。もっとも十両昇進時の報道によると、本人は実績が無い選手だと自己評価していたとのこと[8]。 高校3年時に大相撲の二子山部屋へ入門し、2020年1月場所で初土俵[6]。貧しい母子家庭で育ったので、大相撲入門は必然的であった。序二段時代の2020年7月場所と翌9月場所は、2場所続けて最初の相撲から6連勝し、最後の7番相撲に敗れて序二段優勝を逃した[9][10]。入門2年目の2021年7月場所で幕下に昇進した[11]。 2023年9月場所は、4番目の栃武蔵との取組で左膝前十字靭帯を損傷して5番目から休場したが、7番目から再出場した[12]。 2024年3月場所は自己最高位を西幕下5枚目に更新して臨み、11日目の6番相撲終了時点で4勝2敗。千秋楽に十両の千代栄との、入れ替え戦的要素を持つ一番が組まれたが、突き落としで敗れて十両昇進を逃した[13]。翌5月場所は番付を西幕下2枚目に上げて臨み、11日目の6番相撲終了時点で4勝2敗とし、一部報道で「新十両前進」と伝えられた[14]。千秋楽は母親が国技館内で見届ける中で、十両の風賢央から5勝目を挙げた[15]。千秋楽の取組後には「新十両確実」と報じられた[16][13]。場所後に行われた番付編成会議で、翌7月場所での新十両昇進が決定した[17]。さくら市からの関取昇進は史上初。十両昇進時のデイリースポーツの記事によると、将来的に力を付けた時には師匠の現役時の四股名「雅山」を襲名したいと意欲を見せていた[18]。7月場所新十両初日、同時に昇進した藤青雲に勝利し十両初白星を挙げたものの、翌2日目から5連敗、7、8日目と初の連勝を果たしたものの9日目から2度目の5連敗で2桁の黒星、1場所での幕下降格が確実となり、千秋楽の幕下若碇戦にも敗れ4勝11敗で終わった。翌9月場所は東幕下4枚目で4勝3敗と勝ち越し。幕下からの陥落力士が多かった事情もあり、1場所で関取復帰を果たした。 取り口得意とするのは、突き押しの相撲[5]。とっさの突き落としも見られるが、下位時代からの左膝の古傷を抱えている[19]ため下半身が脆く、変化を食いやすく引き技に落ちやすい。また、相撲が単調なのも弱点。 人物
エピソード
主な成績2024年11月場所終了現在 通算成績
場所別成績
改名歴
脚注
関連項目外部リンク
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