豊田商事事件
豊田商事事件(とよたしょうじじけん)は、1980年代前半に発生した豊田商事による金の地金などを用いた悪徳商法(現物まがい商法)を手口とする組織的詐欺事件。「豊田商事問題」とも[1]。 高齢者を中心に全国で数万人が被害に遭い、被害総額は2,000億円近くと見積もられている。当時、詐欺事件としては最大の被害額[注 1]である。強引な勧誘によって契約させられた挙句に老後の蓄えを失った被害者も多い。 また、この詐欺事件が社会問題化したさなかの1985年6月18日、豊田商事会長の永野一男が、事件を取材中のマスコミの目前で殺害される事件が発生した。この事件については豊田商事会長刺殺事件を参照。 年表
手口客は金の地金を購入する契約を結ぶが、現物は客に引き渡さずに会社が預かり「純金ファミリー契約証券」という証券を代金と引き替えに渡す形式をとった。このため客は現物を購入するのか確認できず、実態は証券という名目の紙切れしか手元に残らない現物まがい商法(ペーパー商法)と言われるものであった。豊田商事の営業拠点には金の延べ棒がこれ見よがしに積まれていたが、のちの捜査によってそれは「ニセモノ」であったことが明らかになっている。 また勧誘においてはおもに独居老人が狙われたのも特徴だった。まず電話セールスで無差別に勧誘し、脈ありと判断すると相手の家を訪問する。家に上がると線香をあげたり身辺の世話をしたり「息子だと思ってくれ」と言って人情に訴えるなど相手につけ込み、インチキな契約を結ばせていった。 客を信用させるため、知名度がある企業とブランド名を悪用したりテレビCMを多数放映したほか、主催イベントで芸能人を起用している。そもそも「豊田商事」という社名自体、トヨタ自動車の系列と錯覚させるためにつけられたものであった。トヨタを盗用した理由は永野が中学校を卒業後、最初の就職先がトヨタ自動車のグループ企業である日本電装(現デンソー)だったためと言われており、トヨタグループとの資本関係はなかった。これ以前よりトヨタグループの総合商社として豊田通商がすでに存在しているほか、山口県にも本項の企業と無関係の同名の紙製品業者「豊田商事株式会社」(1948年法人化。創業者の苗字に由来し、トヨタグループとは無関係)が存在しており、「豊田商事」が名前を似せたことで風評被害に見舞われた[注 2][3]。 同様に鹿島商事(後述)も鹿島建設の系列企業であるかのように装っていたほか、ベルギーダイヤモンド(後述)は国内で仕入れた二束三文のダイヤモンドしか扱わないにもかかわらず、ベルギー大使館が新規開設のダイヤモンド販売業者に対し、業者側からの申し入れを受けて儀礼的に発行するあいさつ文を掲載するといった手法も使われていた。これらの手口は2000年代の詐欺や悪徳商法、セクトでも模倣されているケースがある。 系列会社による類似事件豊田商事が次々に設立した同系会社でも、類似の詐欺事件が行われていることが明らかになっている。以下はその一例。 鹿島商事
ベルギーダイヤモンドその他の事業会社こうした詐欺的商法を行う会社の一方で、他の事業を行う会社も設立された。以下はその一例である。
上記のほか、以下のような事業も計画されていた。
また、上部組織として以下のような企業があった。
背景当時、金に対する国民の関心は高まっており、1981年に国内金輸入量は史上最高を記録。このため私設の先物取引市場が横行し、それに伴う被害も多く、社会問題になっていた。豊田商事の前身の大阪豊田商事も、私設市場を舞台に先物取引を扱っていた業者の一つだった。 このため商品取引所法が改正され、商品先物取引は政府が公認した市場で指定した品目においてのみしか認められないようにするなど、先物取引を規制する政策が打ち出された。 被害者救済破産時、売り上げの半分は従業員への給与の支払い(支店長クラスで基本給90万から140万+役職手当90万。これに支店の売り上げの0.5%が加算される)とその後の会社の運営資金として、残り半分は永野個人の先物取引での損失や会社としての事業の失敗によりほとんど消えており、豊田商事には資産と呼べるものは皆無だった。また、永野個人も殺害されたときの所持金は711円だった[4]。しかし管財人となった中坊公平の率いるチームによって、今まで豊田商事が浪費した金が回収された。 中坊が率いる管財人チームの資金回収は徹底しており、豊田商事グループの賃貸先からの家賃や敷金、高額の給料を得ていた豊田商事の従業員が納めた税金まで回収し、その総額は100億円を越えた。一方、回収に対する妨害行為も多々発生しており、一部の暴力団や金融機関等は、管財人チームが回収した金の奪取や建物占有行為を強行した。 その後、特定商品等の預託等取引契約に関する法律(特定商品預託法)が制定された。この法律により、金などの預託取引契約に対して、一定期間内であれば理由の如何を問わず契約を解除できるクーリングオフ制度が導入された(なお預託取引契約は、一般的なクーリングオフ制度と異なり、店舗外での契約だけでなく、店舗内での契約に対してもクーリングオフ制度の適用がある)。 報道機関→詳細は「豊田商事会長刺殺事件」を参照
テレビ中継では永野への「公開処刑」および瀕死となった永野の姿が映り、暴力表現に関する議論に繋がった。また一部の週刊誌(フォーカスなど)が殺害した犯人と血まみれとなった永野を掲載し、社会的非難を浴びた。なお、事件が起こる前後に事件現場前に多数のマスコミがいたため、各所で「マスコミは凶行を阻止できなかったのか」と言った自己批判の論調が多かった。 当時はこの凶行に心情的理解を示す者も少なくなかった。それは豊田商事の手法と被害の深刻さによるものである。「殺人犯」2人に対しては「懲役10年、もう1人には8年」という減軽された判決が下された。逮捕された犯人たちは当初「騙された老人たちに依頼されてやった」などと供述していたが、のちに現場にいた報道陣が「やれやれ」と煽り立てたため犯行に及んだという旨の主張をし、報道機関に対し裁判も起こしている。 豊田商事事件を契機に法定された法律「特定商品等の預託等取引契約に関する法律(預託法)」が、豊田商事事件を契機として、詐欺的な販売預託商法を規制するために1986年に制定された。 この法律の適用事例は、事業者が、消費者が購入した物品等を事業者が預かって運用し消費者に配当等を支払う旨伝えて、物品を販売し預託させるが、実際にはその販売したはずの物品等やその運用実態は存在(つまり、「現物まがい」だという点)しないという事件である。 豊田商事事件は
という事例で、このような詐欺罪を防ぐための法律が制定された。 豊田商事事件を主要な題材とした作品
類似業者債権回収や問題提起に関わった人物豊田商事破産事件管財人弁護士団
豊田商事被害者弁護団関連項目
外部リンク
脚注注釈出典
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