綴喜郡(つづきぐん)は、京都府(山城国)の郡。
人口15,508人、面積76.2km²、人口密度204人/km²。(2024年11月1日、推計人口)
現在は以下の2町を含む。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、以下の区域にあたる。
- 京都市
- 城陽市の一部(水主・奈島・市辺)
- 八幡市の大部分(上津屋を除く)
- 京田辺市の全域
- 井手町の大部分(田村新田を除く)
- 宇治田原町の大部分(高尾を除く)
歴史
古代
式内社
『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。
神名帳
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比定社
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集成
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社名
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読み
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格
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付記
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社名
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所在地
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備考
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綴喜郡 14座(大3座・小11座)
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樺井月神社 |
カハヰノ- |
大 |
月次新嘗 |
樺井月神社 |
京都府城陽市水主宮馬場 |
水主神社境内社 |
[1]
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朱智神社 |
スチノ |
小 |
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朱智神社 |
京都府京田辺市天王 |
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月読神社 |
ツキヨミノ |
大 |
月次新嘗 |
月讀神社 |
京都府京田辺市大住 |
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[2]
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咋岡神社 |
クヒヲカノ |
小 |
鍬靫 |
(論)咋岡神社 |
京都府京田辺市飯岡 |
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(論)咋岡神社 |
京田辺市草内宮ノ後 |
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高神社 |
タカノ |
小 |
鍬靫 |
高神社 |
京都府綴喜郡井手町多賀 |
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内神社 二座 |
ウチノ |
小 |
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内神社 |
京都府八幡市内里 |
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粟神社 |
アハノ |
小 |
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粟神社 |
京都府城陽市市辺 |
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棚倉孫神社 |
タナクラヒコ |
大 |
月次新嘗 |
棚倉孫神社 |
京都府京田辺市田辺 |
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[3]
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佐牙乃神社 |
サガノ |
小 |
鍬靫 |
佐牙神社 |
京都府京田辺市大字宮津 |
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酒屋神社 |
サカヤノ |
小 |
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酒屋神社 |
京都府京田辺市大字興戸 |
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甘南備神社 |
カンナヒノ カム- |
小 |
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神南備神社 |
京都府京田辺市大字薪 |
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天神社 |
アマツカンノヤシロ アマツヤシロ |
小 |
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(論)天神社 |
京都府京田辺市松井 |
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(論)朱智神社 |
京都府京田辺市天王 |
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(論)棚倉孫神社 |
京都府京田辺市棚倉 |
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地祇神社 |
クニツヤシロカンノヤシロ クニツヤシロ |
小 |
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地祇神社 |
京都府京田辺市普賢寺 |
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凡例を表示
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近世以降の沿革
幕末の知行
知行
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村数
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村名
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天領
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皇室領
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19村
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宮口村、水取村、郷之口村、老中村、名村、切林村、贄田村、符作村、荒木村、糠塚村、大道寺村、平岡村、岩本村、禅定寺村、長山村、湯屋谷村、奥山田村[1]、多賀村、奥山新田
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門跡領
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1村
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水無村
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公家領
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1村
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●八幡[2]
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京都守護職役知
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1村
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美濃山新開
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旗本領
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1村
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南山村
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皇室領・門跡領・京都守護職役知
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1村
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井手村
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皇室領・幕府領(小堀)
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1村
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水主村
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皇室領・幕府領(多羅尾)・旗本領
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1村
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奈島村
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皇室領・旗本領
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1村
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●高木村
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公家領・京都守護職役知
|
1村
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●内里村
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公家領・京都守護職役知・医師吉田氏領
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1村
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市辺村
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幕府領(小堀)・京都守護職役知
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1村
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●薪村
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京都守護職役知・医師吉田氏領
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1村
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上奈良村
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藩領
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山城淀藩
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9村
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野尻村、●戸津村、草内村、田辺新田村、打田村、高船村、飯岡村、東村、多々羅村[3]
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天領・藩領
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皇室領・淀藩
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1村
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南興戸村
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皇室領・京都守護職役知・淀藩
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2村
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江津村、上村
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皇室領・京都守護職役知・旗本領・淀藩
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1村
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天王村
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皇室領・旗本領・淀藩
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1村
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出垣内村
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門跡領・旗本領・淀藩
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1村
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●大住村
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門跡領・林大学頭領・淀藩
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1村
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山本村
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女官領・京都守護職役知・淀藩
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1村
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岩田村
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公家領・淀藩
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2村
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河原村、田辺村
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幕府領(小堀)・淀藩
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1村
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松井村
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旗本領・淀藩
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1村
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北興戸村
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その他
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寺社領
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5村
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下奈良村、生津村、美豆村、際目村、川口村
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- 慶応4年
- 明治初年
- 領知替えにより美濃山新開・水主村・上奈良村・南興戸村・江津村・出垣内村・岩田村・松井村・北興戸村の全域および大住村の一部(旗本領)が淀藩領となる。
- 奥山新田が多賀村に合併。(56村)
- 明治3年(1870年) - 八幡のうち石清水八幡宮の門前町が八幡町、残部が八幡荘となる。(1町56村)
- 明治4年
- 明治5年(1872年) - 水無村が井手村に合併。(1町55村)
- 明治7年(1874年)(1町49村)
- 贄田村・糠塚村・大道寺村・平岡村が合併して立川村となる。
- 岩本村・長山村が合併して岩山村となる。
- 南興戸村・北興戸村が合併して興戸村となる。
- 田辺新田村が田辺村に合併。
- 明治8年(1875年) - 老中村・名村・切林村・符作村が合併して南村となる。(1町46村)
- 明治9年(1876年)(1町42村)
- 宮口村・江津村が合併して宮津村となる。
- 南山村・高木村・出垣内村・山本村が合併して三山木村となる。
- 明治12年(1879年)4月10日 - 郡区町村編制法の京都府での施行により、行政区画としての綴喜郡が発足。郡役所が田辺村字棚倉に設置。
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(1町13村)
- 八幡町 ← 八幡町、八幡荘[大部分]、川口村(現・八幡市)
- 美豆村 ← 美豆村、際目村、生津村(現・京都市伏見区)
- 都々城村 ← 岩田村、野尻村、上奈良村、下奈良村、八幡荘[一部]、久世郡上津屋村[浜上津屋・里上津屋](現・八幡市)
- 有智郷村 ← 内里村、戸津村、美濃山新開(現・八幡市)
- 大住村 ← 大住村、松井村(現・京田辺市)
- 田辺村 ← 田辺村、薪村、興戸村、河原村(現・京田辺市)
- 草内村 ← 草内村、東村、飯岡村(現・京田辺市)
- 三山木村 ← 三山木村、宮津村(現・京田辺市)
- 普賢寺村 ← 水取村、多々羅村、上村、天王村、高船村、打田村(現・京田辺市)
- 井手村 ← 井手村、相楽郡田村新田(現・井手町)
- 多賀村(単独村制。現・井手町)
- 青谷村 ← 奈島村、市辺村、久世郡中村(現・城陽市)
- 田原村 ← 郷之口村、南村、荒木村、立川村[贄田]、久世郡高尾村(現・宇治田原町)
- 宇治田原村 ← 岩山村、立川村[贄田を除く]、禅定寺村、湯屋谷村、奥山田村(現・宇治田原町)
- 水主村が久世郡寺田村の一部となる。
- 明治32年(1899年)7月1日 - 郡制を施行。
- 明治39年(1906年)10月12日 - 田辺村が町制施行して田辺町となる。(2町12村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和2年(1927年)1月1日 - 井手村が町制施行して井手町となる。(3町11村)
- 昭和10年(1935年)4月1日 - 美豆村が久世郡淀町に編入。(3町10村)
- 昭和17年(1942年)7月1日 - 「綴喜地方事務所」が田辺町に設置され、本郡を管轄。
- 昭和26年(1951年)4月1日(3町5村)
- 普賢寺村・三山木村・草内村・大住村が田辺町に編入。
- 青谷村が久世郡久津川村・富野荘村・寺田村と合併して久世郡城陽町が発足。
- 昭和29年(1954年)10月1日 - 都々城村・有智郷村が八幡町に編入。(3町3村)
- 昭和31年(1956年)9月30日 - 宇治田原村・田原村が合併して宇治田原町が発足。(4町1村)
- 昭和33年(1958年)4月1日 - 井手町・多賀村が合併し、改めて井手町が発足。(4町)
- 昭和52年(1977年)11月1日 - 八幡町が市制施行して八幡市となり、郡より離脱。(3町)
- 平成9年(1997年)4月1日 - 田辺町が市制施行・改称して京田辺市となり、郡より離脱。(2町)
変遷表
自治体の変遷
明治22年4月1日
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明治22年 - 大正15年
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昭和1年 - 昭和19年
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昭和20年 - 昭和29年
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昭和30年 - 昭和64年
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平成1年 - 現在
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現在
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田辺村
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明治39年10月12日 町制
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田辺町
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田辺町
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田辺町
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平成9年4月1日 市制改称 京田辺市
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京田辺市
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普賢寺村
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普賢寺村
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普賢寺村
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昭和26年4月1日 田辺町に編入
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三山木村
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三山木村
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三山木村
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草内村
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草内村
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草内村
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大住村
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大住村
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大住村
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八幡町
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八幡町
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八幡町
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八幡町
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昭和52年11月1日 市制
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八幡市
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八幡市
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都々城村
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都々城村
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都々城村
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昭和29年10月1日 八幡町に編入
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有智郷村
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有智郷村
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有智郷村
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井手村
|
井手村
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昭和2年1月1日 町制
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井手町
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昭和33年4月1日 井手町
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井手町
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井手町
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多賀村
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多賀村
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多賀村
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多賀村
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宇治田原村
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宇治田原村
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宇治田原村
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宇治田原村
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昭和31年9月30日 宇治田原町
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宇治田原町
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宇治田原町
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田原村
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田原村
|
田原村
|
田原村
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美豆村
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美豆村
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昭和10年4月1日 久世郡淀町に編入
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久世郡 淀町
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昭和32年4月1日 京都市に編入
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京都市 伏見区
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京都市
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青谷村
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青谷村
|
青谷村
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昭和26年4月1日 久世郡城陽町の一部
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昭和47年5月5日 市制
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城陽市
|
城陽市
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行政
- 歴代郡長
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
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1
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宮本三四郎
|
明治12年(1879年)3月14日
|
明治15年(1882年)8月
|
|
2
|
西川義延
|
明治15年(1882年)8月3日
|
明治19年(1886年)10月8日
|
相楽郡長兼綴喜郡長へ転任[4]
|
明治19年(1886年)10月8日[5]
|
明治22年(1889年)5月27日
|
これより奏任官となる。
相楽郡長による兼任。
病気のため依願免本官竝兼官[6]
|
3
|
喜多川孝経
|
明治22年(1889年)6月10日[7]
|
明治26年(1893年)11月8日
|
相楽郡長による兼任。
明治25年(1892年)4月5日免本官専任綴喜郡長。[8]
非職を命ぜられる[9]
|
4
|
伊藤信厚
|
明治26年(1893年)11月8日[10]
|
明治27年(1894年)12月1日
|
非職を命ぜられる[11]
|
5
|
梅垣幸之
|
明治27年(1894年)12月10日[12]
|
明治28年(1895年)12月26日
|
竹野郡長へ転任[13]
|
6
|
島田祐信
|
明治28年(1895年)12月26日
|
明治31年(1898年)8月9日
|
依願免本官[14]
|
7
|
東文輔
|
明治31年(1898年)8月9日[15]
|
明治32年(1899年)9月9日
|
文官分限令第11条第1項第4号により休職を命ぜられる[16]
|
8
|
荒川真造
|
明治32年(1899年)9月13日[17]
|
明治36年(1903年)10月21日
|
天田郡長へ転任[18]
|
9
|
高木謙二郎
|
明治36年(1903年)10月21日
|
明治43年(1910年)1月28日
|
紀伊郡長へ転任[19]
|
10
|
岸田豊久
|
明治43年(1910年)1月28日
|
大正元年(1912年)12月16日
|
与謝郡長へ転任[20]
|
11
|
山本三省
|
大正元年(1912年)12月16日
|
大正6年(1917年)1月17日
|
乙訓郡長へ転任[21]
|
12
|
藤正路
|
大正6年(1917年)1月17日
|
大正12年(1923年)2月24日
|
依願免本官[22]
|
13
|
林田民次郎
|
大正12年(1923年)2月24日
|
大正13年(1924年)12月18日
|
依願免本官[23]
|
14 |
松村同 |
大正13年(1924年)12月18日[24]
|
大正15年(1926年)6月30日 |
郡役所廃止により、廃官
地方事務官京都府学務部兵事課長へ転任
|
脚注
参考文献
関連項目