相楽郡(そうらくぐん、さがらかのこおり)は、京都府(山城国)の郡。
人口41,521人、面積178.24km²、人口密度233人/km²。(2024年11月1日、推計人口)
以下の3町1村を含む。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記3町1村のほか、以下の区域にあたる。
歴史
古代
もとは「さがらかのこおり」と読んだ。相楽郡には、山城国の国分寺があった。また、奈良時代に恭仁京が造営され、短期間ながら都とされている。
郷
『和名類聚抄』に記される郡内の郷。括弧内は訓読み。
- 相楽郷(佐加良加)
- 水泉郷(以豆美)
- 賀茂郷
- 大狛郷
- 蟹幡郷(加無波多)
- 祝園郷(波布曽乃)
- 下狛郷(之毛都古末)
式内社
『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。
近世以降の沿革
幕末の知行
知行
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村数
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村名
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天領
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皇室領
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22村
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綺田村、上津村、南川村、西村、河原村、岡崎村、井平尾村、石寺村、白栖村、別所村、園村、原山村、湯船村、門前村、釜塚村、南村(現・和束町)、木屋村、撰原村、下島村、田村新田、杣田村、中村
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例幣使領
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5村
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東村、登大路村、仏生寺村、口畑村、奥畑村
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幕府領[1]
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1村
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枝村、木津郷新田[2]、木津郷流作[2]
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京都守護職役知
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3村
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北河原村、梅谷村、石垣村
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旗本領
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3村
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●下狛村、●北稲八間村、東畑村
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皇室領・門跡領・幕府領・旗本領
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1村
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相楽村
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皇室領・公家領・女官領・京都守護職役知
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1村
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林村
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皇室領・公家領
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2村
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菅井村、●小寺村
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皇室領・公家領・幕府領
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1村
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千童子村
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皇室領・公家領・幕府領・京都守護職役知
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1村
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鹿背山村
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皇室領・公家領・幕府領・旗本領
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1村
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●吐師村
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皇室領・幕府領
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1村
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大路村
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皇室領・幕府領・京都守護職役知・旗本領
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1村
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●乾谷村
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皇室領・幕府領・旗本領
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1村
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●菱田村
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皇室領・京都守護職役知
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1村
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椿井村
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皇室領・旗本領
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5村
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神童子村、市坂村、植田村、山田村、●柘榴村
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皇室領・能楽囃子方大倉氏知行
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1村
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平尾村
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藩領
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伊勢津藩
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15村
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上狛村、法華寺野村、大野村、観音寺村、高田村、北村、里村、兎並村、銭司村、切山村、北笠置村、南笠置村、上有市村、下有市村、南村(現・木津川市)[3]
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伊勢久居藩
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14村
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岩船村、西小村、北大門村、南大門村、東小下村、東小上村、北下手村、南下手村、高去村、勝風村、森村、大畑村、尻枝村、辻村
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大和柳生藩
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9村
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石垣村、法花平尾村、高尾村、田山村、童仙房村、野殿村、飛鳥路村、南大河原村、北大河原村
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山城淀藩
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1村
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南稲八妻村
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大和小泉藩
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1村
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大平尾村[4]
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天領・藩領
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旗本領・武蔵岩槻藩・林大学頭知行
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1村
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祝園村
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- 慶応4年
- 明治3年
- 明治4年
- 明治4年11月22日(1872年1月2日) - 第1次府県統合により、全域が京都府の管轄となる。
- 明治初年 - 大平尾村が平尾村に合併。(91村)
- 明治5年(1872年) - 石垣村が綴喜郡井手村に合併。(90村)
- 明治8年(1875年) - 枝村・大路村・千童子村・上津村・南川村・小寺村が合併して木津村となる。(85村)
- 明治9年(1876年)(78村)
- 北笠置村・南笠置村が合併して笠置村となる。
- 上有市村・下有市村が合併して有市村となる。
- 東村・登大路村・仏生寺村・口畑村が合併して例幣村となる。
- 法花平尾村が高尾村に、林村が上狛村に合併。
- 明治12年(1879年)4月10日 - 郡区町村編制法の京都府での施行により、行政区画としての相楽郡が発足。郡役所が木津村正覚寺内に設置。
- 明治14年(1881年) - 木津村の一部(旧・木津宿23町)が分立して木津町となる。(1町77村)
- 明治15年(1882年) - 南村(現・木津川市)が改称して美浪村となる。
- 明治16年(1883年)8月13日 - 木津郡役所が木津村字殿城の新庁舎に移転する。
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。特記以外は現・木津川市。(19村)
- 棚倉村 ← 綺田村、平尾村
- 高麗村 ← 椿井村、北河原村、神童寺村
- 上狛村(単独村制)
- 狛田村 ← 下狛村、菱田村(現・精華町)
- 稲田村 ← 北稲八間村、南稲八妻村、植田村(現・精華町)
- 祝園村 ← 祝園村、菅井村(現・精華町)
- 山田荘村 ← 山田村、乾谷村、柘榴村、東畑村(現・精華町)
- 相楽村 ← 吐師村、相楽村
- 木津村 ← 木津町、木津村、梅谷村、市坂村、鹿背山村
- 加茂村 ← 里村、高田村、大野村、観音寺村、法華寺野村、北村、兎並村、美浪村、銭司村
- 当尾村 ← 辻村、尻枝村、南下手村、北下手村、森村、高去村、勝風村、大畑村、岩船村、西小村、東小上村、東小下村、北大門村、南大門村
- 瓶原村 ← 例幣村、西村、河原村、岡崎村、井平尾村、奥畑村
- 西和束村 ← 石寺村、白栖村、撰原村、下島村(現・和束町)
- 中和束村 ← 釜塚村、別所村、南村、杣田村、木屋村(現・和束町)
- 東和束村 ← 原山村、門前村、園村、中村(現・和束町)
- 湯船村(単独村制。現・和束町)
- 笠置村 ← 笠置村、切山村、有市村、飛鳥路村(現・笠置町)
- 大河原村 ← 南大河原村、北大河原村、野殿村、童仙房村(現・南山城村)
- 高山村 ← 田山村、高尾村(現・南山城村)
- 田村新田が綴喜郡井手村の一部となる。
- 明治26年(1893年)11月25日 - 木津村が町制施行して木津町となる。(1町18村)
- 明治32年(1899年)7月1日 - 郡制を施行。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日
- 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 上狛村が町制施行して上狛町となる。(2町17村)
- 昭和3年(1928年)2月11日 - 加茂村が町制施行して加茂町となる。(3町16村)
- 昭和6年(1931年)10月1日 - 狛田村・祝園村・稲田村が合併して川西村が発足。(3町14村)
- 昭和9年(1934年)1月1日 - 笠置村が町制施行して笠置町となる。(4町13村)
- 昭和17年(1942年)7月1日 - 木津町に相楽郡を管轄する相楽地方事務所を設置。
- 昭和26年(1951年)4月1日(4町9村)
- 相楽村が木津町に編入。
- 川西村・山田荘村が合併して精華村が発足。
- 当尾村・瓶原村が加茂町に編入。
- 昭和29年(1954年)12月15日 - 西和束村・中和束村・東和束村が合併して和束町が発足。(5町6村)
- 昭和30年(1955年)4月1日(6町4村)
- 大河原村・高山村が合併して南山城村が発足。
- 精華村が町制施行して精華町となる。
- 昭和31年(1956年)
- 8月1日 - 上狛町・高麗村・棚倉村が合併して山城町が発足。(6町2村)
- 9月30日 - 湯船村が和束町に編入。(6町1村)
- 平成19年(2007年)3月12日 - 山城町・木津町・加茂町が合併して木津川市が発足し、郡より離脱。(3町1村)
変遷表
自治体の変遷
明治22年4月1日
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明治22年 - 大正15年
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昭和1年 - 昭和19年
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昭和20年 - 昭和29年
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昭和30年 - 昭和64年
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平成1年 - 現在
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現在
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木津村
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明治26年11月22日 町制
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木津町
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木津町
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木津町
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平成19年3月12日 木津川市
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木津川市
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相楽村
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相楽村
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相楽村
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昭和26年4月1日 木津町に編入
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上狛村
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大正15年7月1日 町制
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上狛町
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上狛町
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昭和31年8月1日 山城町
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高麗村
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高麗村
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高麗村
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高麗村
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棚倉村
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棚倉村
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棚倉村
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棚倉村
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加茂村
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加茂村
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昭和3年2月11日 町制
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加茂町
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加茂町
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当尾村
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当尾村
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当尾村
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昭和26年4月1日 加茂町に編入
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瓶原村
|
瓶原村
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瓶原村
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笠置村
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笠置村
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昭和9年1月1日 町制
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笠置町
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笠置町
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笠置町
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笠置町
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西和束村
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西和束村
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西和束村
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昭和29年12月15日 和束町
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和束町
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和束町
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和束町
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中和束村
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中和束村
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中和束村
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東和束村
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東和束村
|
東和束村
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湯船村
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湯船村
|
湯船村
|
湯船村
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昭和31年9月30日 和束町に編入
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狛田村
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狛田村
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昭和6年10月1日 川西村
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昭和26年4月1日 精華村
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昭和30年4月1日 町制
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精華町
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精華町
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祝園村
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祝園村
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稲田村
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稲田村
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山田荘村
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山田荘村
|
山田荘村
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大河原村
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大河原村
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大河原村
|
大河原村
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昭和30年4月1日 南山城村
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南山城村
|
南山城村
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高山村
|
高山村
|
高山村
|
高山村
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行政
- 歴代郡長[5][6]
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
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1
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森嶋清右衛門
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明治12年(1879年)3月14日
|
明治13年(1880年)9月2日
|
元相楽郡大庄屋(祝園村在住)
|
2
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親康忠紀
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明治13年(1880年)9月2日
|
明治15年(1882年)10月12日
|
京都府庶務課御用掛へ転任[7]
|
3
|
松本金兵衛
|
明治15年(1882年)10月12日
|
明治19年(1886年)10月8日
|
相楽郡書記兼綴喜郡書記へ転任
|
4
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西川義延
|
明治19年(1886年)10月8日[8]
|
明治22年(1889年)5月27日
|
これより奏任官となる
綴喜郡長を兼任。
病気のため依願免本官竝兼官[9]
|
5
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喜多川孝経
|
明治22年(1889年)6月10日[10]
|
明治25年(1892年)4月5日
|
綴喜郡長を兼任のち免本官専任綴喜郡長[11]
|
6
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松野新九郎
|
明治25年(1892年)4月5日
|
明治29年(1896年)11月30日
|
依願免本官[12]
|
7
|
北川良愼
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明治29年(1896年)11月30日[13]
|
明治30年(1897年)7月15日
|
滋賀県滋賀郡長へ転任[14]
|
8
|
田邊信成
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明治30年(1897年)8月2日[15]
|
明治32年(1899年)4月21日
|
紀伊郡長へ転任[16]
|
9
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後藤善二
|
明治32年(1899年)4月21日
|
明治43年(1910年)2月21日
|
船井郡長へ転任[17]
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10
|
根本吉太郎
|
明治43年(1910年)2月21日
|
大正6年(1917年)1月17日
|
与謝郡長へ転任[18]
|
11
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折田有彦
|
大正6年(1917年)1月17日
|
大正6年(1917年)12月25日
|
宮内事務官へ転任[19]
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12
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菊山嘉男
|
大正7年(1918年)1月12日[20]
|
大正7年(1918年)12月6日
|
船井郡長へ転任[21]
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13
|
佐伯嘉直
|
大正7年(1918年)12月6日
|
大正7年(1918年)12月15日
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在任中に死去[22]
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14
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清水良策
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大正8年(1919年)1月17日[23]
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大正10年(1921年)5月5日
|
京都府理事官へ転任[24]
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15
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中大路顯孝
|
大正10年(1921年)5月5日
|
大正12年(1923年)2月24日
|
中郡長へ転任[25]
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16
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岡本正一
|
大正12年(1923年)2月24日
|
大正15年(1926年)6月30日
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郡役所廃止により、廃官
地方事務官京都府学務部社寺課長へ転任
|
脚注
参考文献