稲永新田(いなえいしんでん)は、愛知県名古屋市港区の地名。丁番を持たない単独町名。現在、5つの小字が設置されている。
地理
港区南部に位置する。現在は道路用地などの僅かな部分のみが存在する。東・南は潮凪町、西は稲永、北は一州町に接する。字り・ちは、稲永東公園南東部に飛び地として存在し周囲を稲永三丁目に接する。
字一覧
稲永新田の一部には小字が残る。稲永新田の小字は以下の通り[WEB 3]。消滅した字については背景色 で示す。
字 |
字
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い |
か
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そ |
た
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ち |
つ
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と |
な
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に |
西屋敷(にしやしき)
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ぬ |
ね
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野跡(のせき) |
は
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東屋敷(ひがしやしき) |
へ
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ほ |
屋敷(やしき)
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よ |
ら
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り |
る
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れ |
ろ
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を |
わ
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歴史
稲富新田と永徳新田が合併して成立した稲永新田を前身とする。
- 稲富新田
- 稲富新田(いなとみしんでん)は、尾張国愛知郡の新田で、熱田前新田南西の海面を文政3年、粟田兵部が埋め立てたことで成立したという。開発資金の面では内田忠次郎のバックアップがあったとされる。1869年(明治2年)の記録には、荒地であるために無税だったとある。1876年(明治9年)[注釈 1]もしくは1878年(明治11年)に永徳新田と合併し、稲永新田となっている。
- 永徳新田
- 永徳新田(えいとくしんでん)は、尾張国愛知郡の新田で、宝来新田および稲富新田の南側海面を文政9年に熱田の大喜下総により開発された。ただし、稲富新田と同様に内田忠次郎による開発ともされる。安政年間に台風により大破し、海に還っていたが、慶応2年に岐阜の渡辺甚吉を中心に修復した。稲富新田同様荒地であり無税だったとされる。
町名の由来
稲富新田と永徳新田の合併により成立したことによる合成地名。
行政区画の変遷
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 4]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 5]。
脚注
注釈
出典
WEB
書籍
参考文献
関連項目
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区役所管内 |
(堀川以東) | |
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(中川運河・庄内川間) | |
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(中川運河・堀川間) | |
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南陽支所管内 | |
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旧市町村 | |
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註 |
- ☆ - 住居表示実施地区 / ★ - 道路・河川・鉄道等用地のみ / ■ - ウィキメディア・コモンズカテゴリ有
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旧町名 | |
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カテゴリ |