稲垣長剛
稲垣 長剛(いながき ながかた)は、志摩鳥羽藩の第5代藩主。鳥羽藩稲垣家9代。 文化4年(1807年)8月18日、第4代藩主稲垣長続の四男として生まれる。世嗣だった兄長興が廃嫡された後、文政元年(1818年)9月23日に長剛が世子となる。12月29日に父が死去したため、文政2年(1819年)3月5日に家督を継いだ。 しかし病弱であり若年でもあるため、文政6年(1823年)までは隠居していた先々代藩主長以が藩政を後見した。天保10年(1839年)に江戸屋敷が全焼して御用金を課すなどしている。また、悪化していた藩財政再建を目指したが、効果は無かった。 天保13年(1842年)5月11日、家督を長男の長明に譲って隠居する。弘化4年(1847年)2月14日に死去した。享年41。 系譜父母 正室
側室
子女
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