稲垣 昭賢(いながき てるかた、元禄11年4月10日(1698年5月19日) - 宝暦2年12月29日(1753年2月1日))は、江戸時代中期の大名。下野国烏山藩2代藩主、志摩国鳥羽藩初代藩主。鳥羽藩稲垣家5代。
烏山藩初代藩主稲垣重富の長男。母は木下俊長の娘。正室は小出英貞の娘。官位は従五位下・和泉守。
宝永7年(1710年)、父が死去したため家督を相続した。享保10年(1725年)、烏山藩から鳥羽藩に移封される。宝暦2年(1752年)12月29日、55歳で死去した。嗣子がなかったため、弟稲垣昭辰の子の昭央が養子となって跡を継いだ。
系譜
父母
正室
養子
稲垣家 烏山藩2代藩主 (1710年 - 1725年) |
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成田家 | |
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松下家 | |
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堀家 | |
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板倉家 | |
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那須家 | |
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永井家 | |
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稲垣家 | |
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大久保家 | |
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稲垣家 鳥羽藩初代藩主 (1725年 - 1752年) |
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九鬼家 | |
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内藤家 | |
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土井家 | |
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大給松平家 | |
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板倉家 | |
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戸田松平家 | |
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稲垣家 | |
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