稲垣長賢稲垣 長賢(いながき ながかた、1899年(明治32年)7月18日[1] - 1982年(昭和57年)3月12日[1][2])は、大正から昭和期の農林技官、政治家、華族。貴族院子爵議員。 経歴旧志摩鳥羽藩主家当主・稲垣長昌の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1940年(昭和15年)12月28日、子爵を襲爵した[1][3][4]。 1924年(大正13年)東京農業大学本科を卒業[2][3]。同年、農林省畜産試験場助手に就任[2]。以後、山形県農林技手、農林省嘱託、帝国畜産会理事などを務めた[2][3]。 1943年(昭和18年)1月9日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選[5][6]。研究会に所属し調査部第五部理事を務め[2][7]、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。 その他、養鶏組合中央会技師に就任し、以後、同会の奨励部長、出版部長、検査部長、事業部長、同会理事などを務めた[2][7]。 親族脚注参考文献
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