稲垣長興

 
稲垣長興
時代 江戸時代後期
生誕 寛政9年7月27日1797年8月19日
死没 嘉永2年11月29日1850年1月12日
改名 長興、欽心斎(号)
官位 和泉守
志摩鳥羽藩世嗣
氏族 三河稲垣氏
父母 稲垣長続稲垣長以養女・勝
兄弟 長興、鑓、久五郎、京極高聡継室、
小笠原孫三郎室、勇三郎、長剛、環、
松平乗顕継室
松浦清
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稲垣 長興(いながき ながおき)は、江戸時代後期の志摩国鳥羽藩の世嗣。官位和泉守

略歴

4代藩主・稲垣長続の長男として誕生した。母は稲垣長以養女(三浦前次の長女)・勝。正室は松浦清の娘。

鳥羽藩嫡子として生まれた。しかし、大田南畝の随筆『半日閑話』[1]によると、文化14年(1817年)9月9日、江戸城から麹町の上屋敷に戻ってきた後、突然正室を斬りつけ、止めようとした女中2人も負傷させ、庭から外へ逃げ出し、行方不明となった。屋敷内で騒動となり、追っ手が差し向けられ、3日後に両国橋の下でサツマイモを食べているところを発見され、連れ戻された。狂気の沙汰であろうとの評判で、正室の実家・松浦家からも娘の安否をうかがう使者が昼夜を問わず訪れていた[2]

その後、文政元年(1818年)病弱を理由に廃嫡され、代わって弟の長剛が嫡子となった。以後、欽心斎と号する。

嘉永2年(1849年)、53歳で没した。

脚注

  1. ^ 「増訂半日閑話」巻之十五「稲垣若狭守嫡子亂心」 - 『蜀山人全集 巻3』(吉川弘文館、1908年)p.313-314
  2. ^ 永井義男江戸の醜聞愚行 第41話 大名の始祖気が乱心