神野新田町
神野新田町(じんのしんでんちょう)は、愛知県豊橋市の町名。55の小字が存在する。 地理豊橋市西部に位置し、東は王ケ崎町・牟呂町、南は船渡町・大山町・駒形町・神野ふ頭町、北は問屋町・富久縞町・吉前町に接する[5]。 河川小字
柳生川以西の小字は「○ノ割」となっており、京ノ割を除きいろは順となっている。 当初の小字表記は「神野新田○○」であったが、1950年(昭和25年)3月14日、1952年(昭和27年)3月18日、同年7月15日の3回に分けて先頭の「神野新田」の文字が削除された[6]。 世帯数と人口2021年(令和3年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
歴史→詳細は「神野新田」を参照
神野新田は、渥美郡牟呂村地先の海面に第百十国立銀行の取締役[8]だった毛利祥久によって、当初「毛利新田」として開発されたものである。1888年(明治21年)4月15日に新田築堤の起工式が行われ、1890年(明治23年)5月に総面積1049町3反7畝の新田が完工した[9]。新田は1891年(明治24年)に牟呂村・磯辺村・大崎村の各村に編入された[10]。 しかし、1892年(明治25年)9月4日の暴風雨等、度重なる災害によって壊滅的な打撃を受けた。毛利祥久は修復を断念し、1893年(明治26年)4月に、資産家の神野金之助に売却されて再開発された。1895年(明治28年)6月に、牟呂村・磯辺村・大崎村各村会の議決により「神野新田」と改称した[9]。 1906年の町村合併から1932年の豊橋市編入まで、当地は牟呂吉田村と高師村に属していた。 町名の由来新田開発者の神野金之助の姓による[10]。 沿革
史跡施設
交通
その他日本郵便脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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