石川 真佑(いしかわ まゆ、2000年5月14日 - )は、日本の女子バレーボール選手。
来歴
愛知県岡崎市出身[2]。岡崎市立矢作南小学校3年生の時に姉と兄(石川祐希)がやっていたバレーボールに興味を持ち安城北ラビッツに入団する[2]。
中学校は地元岡崎ではなく、長野市立裾花中学校に越境進学する。中学校時代には全日本中学校バレーボール選手権大会に3年連続出場し、2013年(1年次)と2015年(3年次)の2回優勝を果たした。その栄誉を讃えられて長野県体育協会から記念品が贈呈された[3][4]。
2016年に中学校を卒業すると、下北沢成徳高等学校に進学。高校1年からレギュラー選手となり、平成28年度全国高等学校総合体育大会(ソルトアリーナ防府)では決勝で宮部藍梨、水杉玲奈がいた金蘭会高等学校を3-0で下して優勝[5]。さらにその冬(2017年1月)の第69回全日本バレーボール高等学校選手権大会では決勝で就実高等学校を3-0で下して全国制覇を達成した[6]。
2018年度の高校3年次ではチームの主将に就任。同年の平成30年度全国高等学校総合体育大会(サオリーナ)では1年次と同じ金蘭会高等学校との決勝で3-0と下して2年ぶり3度目の大会制覇を達成[7]。続いて秋の第73回国民体育大会(三国体育館)の少年女子バレーボール競技の部では東京都代表として大阪府代表の金蘭会高等学校を3-1で下し、高校総体との二冠を達成[8]。その年の冬(2019年1月)の第71回全日本バレーボール高等学校選手権大会では三冠を賭けて挑んだが、東九州龍谷高等学校との準決勝で2-3で敗れて夢は潰えた[9]。
東レアローズ 時代
2019年1月16日、下北沢成徳でチームメイトだった野呂加南子、大﨑琴未と共にV・プレミアリーグの東レアローズに入団内定選手として発表され[10]、卒業前ながらも早速2018/19シーズンファイナル8の久光製薬スプリングス戦(2019年3月9日、花巻市総合体育館アネックス)で先発出場、Vリーグデビューを果たした[11]。
2019年4月、バレーボール日本女子代表として初登録[12]。7月に行われた第20回女子U20(ジュニア)世界選手権大会(メキシコのレオンおよびアグアスカリエンテスにて開催)の代表メンバーにも選出され、キャプテンとして今大会の全8試合にスターティングメンバーとして出場。自身もMVPとベストアウトサイドヒッターに輝く活躍をみせ、日本チームの優勝に大きく貢献した[13]。
続く8月には日本B代表[注 1]のメンバーとして、チームメイトの関菜々巳、水杉、大﨑と共に2019年バレーボール女子アジア選手権に出場。準決勝でキム・ヨンギョン擁する韓国を破るなど若手主体のチームながら優勝という快挙を成し遂げ[15][16]、自身もMVP・ベストアウトサイドスパイカーを獲得[17]。その活躍が日本代表監督の中田久美に評価されてA代表に抜擢される形で9月のワールドカップメンバー入り。大会本戦ではアメリカ戦と大韓民国戦でスターティングメンバーに起用され、いずれの試合でもチーム最多得点を挙げるなどの活躍を見せた[18][19]。
2020-21シーズンも全23試合(ファイナルステージ含む)に出場と安定した成績を残し、チームのレギュラーラウンド全勝優勝に貢献。2021年には東京オリンピック日本代表の最終メンバーに選出され[20]、兄・石川祐希と共に2020東京五輪に出場。全5試合にフル出場と活躍した。2021-22シーズンも全試合に出場し502得点を記録(全体8位、日本人選手では井上愛里沙に次ぐ2位)、2022年度の日本代表にも選ばれ[21]、世界選手権の出場など東レだけでなく日本代表の主力として活躍。
2022-23シーズンは、前シーズンに井上愛里沙が樹立した最多得点の日本記録584を大幅に更新する735点を挙げ、Vリーグ日本記録賞を受賞[22]。その他、敢闘賞とベスト6も受賞するなど、チームのレギュラーラウンド優勝とシーズン準優勝に大きく貢献した[23]
2023年4月25日、同30日付でチームを退団することが発表されたが[24]、当初の一部スポーツ紙等での報道[25][26][27]通り5月22日にセリエA(イタリア1部リーグ)・イル・ビゾンテ・フィレンツェへの加入がホームページ上で正式に発表され[28]、2023年シーズンからは兄妹揃ってイタリアでプレーすることとなる。
2024年5月11日、セリエAのイゴール・ゴルゴンゾーラ・ノヴァーラとの2年契約が発表された[29][30]。
人物・エピソード
- 2023年4月、東レの11シーズンぶりの優勝がかかるV1女子ファイナルのNECレッドロケッツ戦で、声を出してトスを呼び続けた。両チームで最多の68本の打数を記録し、重要なところで得点を重ね、セットカウント0-2からフルセットに持ち込んだ。最終セットで14-12とし、東レの優勝に王手をかけた段階で、セッターの関菜々巳は、最後は石川で決めるべく、石川にトスを集めた。しかし、石川はここで決め切ることが出来ず、東レは4連続失点で逆転負けを喫し、石川は試合後に泣き崩れた[31]。涙が止まらない石川を、ベテランの井上奈々朱が抱きかかえ労った。井上は、石川の試合に臨む姿勢がプロフェッショナルそのものだと讃えた[32]。最後まで石川にこだわったことは賛否を呼んだが、元日本代表の迫田さおりは、「大舞台で止められた悔しさ[注 2]を昇華させて大きく成長した、たくましい姿」と評した[31]。
所属チーム
球歴
- アンダーカテゴリー
- 2019年 第20回女子U20(ジュニア)世界選手権大会(優勝)
- 日本代表(Bチーム) - 2019年
- 日本代表 - 2019年-
受賞歴
個人成績
V.LEAGUEの個人成績は下記の通り(ファイナルステージ含む)[33]。
大会 |
チーム |
出場 |
アタック |
バックアタック |
アタック 決定本数 |
ブロック |
サーブ |
サーブレシーブ |
総得点
|
試 合 数 |
セ ッ ト 数 |
打 数 |
得 点 |
失 点 |
決 定 率 |
打 数 |
得 点 |
失 点 |
決 定 率 |
セ ッ ト 平 均 |
得 点 |
セ ッ ト 平 均 |
打 数 |
ノ 丨 タ ッ チ |
エ 丨 ス |
失 点 |
効 果 |
効 果 率 |
受 数 |
成 功 ・ 優 |
成 功 ・ 良 |
成 功 率 |
ア タ ッ ク |
ブ ロ ッ ク |
サ 丨 ブ |
得 点 合 計
|
V1 2018-19 |
東レ |
8 |
7 |
13 |
7 |
0 |
53.8 |
0 |
0 |
0 |
- |
1.00 |
0 |
- |
10 |
0 |
0 |
2 |
1 |
-2.5 |
43 |
14 |
10 |
44.2 |
7 |
0 |
0 |
7
|
V1 2019-20 |
24 |
92 |
903 |
353 |
67 |
39.1 |
92 |
32 |
12 |
34.8 |
3.84 |
20 |
0.22 |
251 |
11 |
9 |
51 |
63 |
9.2 |
499 |
232 |
118 |
58.3 |
353 |
20 |
20 |
393
|
V1 2020-21 |
23 |
81 |
758 |
319 |
46 |
42.1 |
107 |
24 |
14 |
22.4 |
3.94 |
20 |
0.25 |
356 |
3 |
15 |
41 |
102 |
9.3 |
551 |
265 |
124 |
59.3 |
319 |
20 |
18 |
357
|
V1 2021-22 |
34 |
123 |
1177 |
456 |
94 |
38.7 |
120 |
30 |
15 |
25.0 |
3.71 |
37 |
0.30 |
489 |
13 |
12 |
53 |
136 |
9.4 |
775 |
416 |
173 |
64.8 |
456 |
37 |
25 |
518
|
V1 2022-23 |
37 |
146 |
1626 |
695 |
87 |
42.7 |
185 |
63 |
12 |
34.1 |
4.76 |
59 |
0.4 |
563 |
17 |
27 |
90 |
160 |
10.9 |
799 |
429 |
177 |
64.8 |
695 |
59 |
44 |
798
|
通算:5シーズン |
126 |
449 |
4477 |
1830 |
294 |
40.9 |
504 |
149 |
53 |
29.6 |
4.08 |
136 |
0.30 |
1669 |
44 |
63 |
237 |
462 |
9.8 |
2667 |
1356 |
602 |
62.1 |
1830 |
136 |
107 |
2073
|
出演
YouTube
' 【カンテレ公式】カンテレバレーボール チャンネル
' 岡崎市公式
CM
その他
脚注
注釈
- ^ 2019年アジア選手の日本女子代表は、相原昇監督指揮の下で若手中心で編成されたチームであった[14]。
- ^ 2021年に開催された東京オリンピックの韓国戦でも最終セットの同様な展開で決め切れず逆転負けを喫した。
出典
外部リンク
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日本リーグ |
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Vリーグ |
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V・プレミア リーグ |
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V.LEAGUE DIVISION1 |
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Vリーグ |
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プレミア リーグ |
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V.LEAGUE Division1 |
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1980年代 |
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1985年 | |
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1986年 | |
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1987年 | |
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1988年 | |
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1989年 | |
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1990年代 |
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1990年 | |
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1991年 | |
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1992年 | |
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1993年 | |
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1994年 | |
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1995年 | |
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1996年 | |
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1997年 | |
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1998年 | |
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1999年 | |
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2000年代 |
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2000年 | |
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2001年 | |
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2002年 | |
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2003年 | |
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2004年 | |
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2005年 | |
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2006年 | |
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2007年 | |
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2008年 | |
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2009年 | |
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2010年代 |
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2010年 | |
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2011年 | |
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2012年 | |
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2013年 | |
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2014年 | |
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2015年 | |
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2016年 | |
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2017年 | |
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2018年 | |
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2019年 | |
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★は黒鷲賞、☆は敢闘賞 |