2008年アメリカ合衆国女子代表
バレーボールアメリカ合衆国女子代表 (バレーボールアメリカがっしゅうこくじょしだいひょう、英語 : United States women's national volleyball team )は、バレーボール の国際大会で編成されるアメリカ合衆国 の女子バレーボールナショナルチーム 。
1947年 に国際バレーボール連盟 へ加盟[ 2] 。
歴史
バレーボールの母国として知られるアメリカであるが国内リーグがないため(リーグは何度も創設されたが、どれも長続きせず)、国外のリーグでプレーする選手以外は協会主催のトライアウトで合格した選手で編成される。
2000年 シドニー五輪 の準々決勝で韓国 をフルセットの末に勝利しベスト4に入ったが、ロシア 、ブラジル に敗れメダルを逃した。
2001年 に吉田敏明 監督が就任し、同年のワールドグランプリにおいて下馬評を覆し2度目の優勝を飾る。2002年 の世界選手権 で予選ラウンドから好調を維持し、準決勝でロシア を下し、世界三大大会初制覇に王手をかけたが、決勝でイタリア に2-3で敗れ銀メダルとなった。
2004年 にFIVBの世界ランキングで1位に登りつめた。アテネオリンピック では、日本人監督の吉田敏明 が指揮を執り5位入賞となった。
2005年 から、元中国代表 エースアタッカーの郎平 が指揮を取る。同年のワールドグランプリ は8位と苦しい船出となったが、北中米選手権で優勝、ワールドグランドチャンピオンズカップ で準優勝した。若手の起用が目立った翌年の世界選手権 は9位と低迷した。
2007年 北中米選手権でライバルのキューバ に2-3で敗れたが、同年のワールドカップ でキューバ、ブラジル などを接戦の末、下すなど開幕から8連勝と勢いに乗り最終的に銅メダルを獲得し、北京五輪の出場権を獲得した。
2008年 北京オリンピック 予選リーグでは開催国かつ監督の母国である中国 と対戦し、フルセットを制した。決勝トーナメントでは準々決勝でイタリア 、準決勝でキューバを破り、決勝へ進出。世界ランク1位のブラジルに3-1で敗れ銀メダルに終わったものの、バルセロナオリンピックの銅メダル以来4大会ぶりのメダルを獲得した[ 3] 。
2008年12月15日、北京オリンピックでアメリカ男子代表 を20年ぶりの金メダルへと導いたヒュー・マッカーチョン が代表監督に就任[ 4] 。
2009年 から新体制がスタートし、北京五輪で主力であったベテラン勢が外れ、若手が多く起用された。同年のワールドグランプリ では予選ラウンド敗退、北中米選手権では4位とメダルを逃す結果に終わった。そこから、デスティニー・フッカー 、フォルケ・アキンラデウォ ら期待の新戦力の台頭により、2010年 には5年ぶりに出場したモントルーバレーマスターズ で準優勝、ワールドグランプリ では決勝ラウンドにおいて全勝し、同大会で9年ぶりに優勝した。同年10-11月の世界選手権 で予選ラウンドを全勝で突破し、準決勝に進出したがロシア に敗れ、3位決定戦で日本 に2-3で敗戦を喫し4位だった。
2011年 、ワールドグランプリ で予選ラウンドでセルビア に敗れるも2位で通過、決勝ラウンドでブラジル、セルビアに雪辱を果たし2大会連続優勝を飾り同大会で4回目の頂点に立った。同年11月のワールドカップ では初戦でブラジルを下し好スタートを切るも、中盤でドイツ 、最終戦で日本 にストレートで敗れてイタリアに女王の座を奪われた。
2012年 、ワールドグランプリ で3連覇を達成した[ 5] 。同年8月、ロンドンオリンピック 決勝でまたもブラジルに苦杯を喫し、初優勝はならなかった[ 6] 。
2014年の世界選手権 において、準決勝で宿敵ブラジルを撃破し決勝でも中国に3-1で勝利。三大大会では初となる悲願の優勝を手にした[ 7] 。
2016年のリオデジャネイロオリンピック において、決勝トーナメント準決勝でセルビアと対戦しフルセットの末に敗れはしたものの、3位決定戦でオランダ を下し、銅メダルを獲得している。
2021年の東京オリンピック では決勝でブラジルをストレートで下し、オリンピック悲願の金メダル獲得を果たした。
2024年のパリオリンピック では決勝でイタリア にストレートで敗れて、銀メダルを獲得している。
過去の成績
オリンピックの成績
世界選手権の成績
ワールドカップの成績
北中米選手権の成績
現在の代表
2022年FIVB女子バレーボールネーションズリーグ に登録されたメンバー[ 8] 。
歴代監督
歴代代表選手
★マークはバレーボール殿堂 入りのプレーヤー。
オリンピック 出場歴3大会以上のプレーヤー[2]
脚注
関連項目
外部リンク
1950年代 1960年代 1970年代
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1980年代
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1990年代 2000年代
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2010年代
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2020年代
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