エリザベス・バックマン
エリザベス・バックマン(Elisabeth "Wiz" Bachman、現姓: バックマン=マッカーチョン[2]、1978年11月7日 - )は、アメリカ合衆国の元女子バレーボール選手。元アメリカ合衆国代表。 来歴ミネソタ州ミネアポリス出身。レイクビル高校から、UCLAに進む[3]。 1996年にブルーインズでバレーボールキャリアをスタートしたが、際だった実績はあげていない。しかし2000年5月にオハイオ州コロンバスで開催されたU.S.オープン・トーナメントに、ウェストウッド・バレーボールクラブのメンバーとして出場し[3]、優秀選手(All-Tournament)に選出された[4]。翌2001年3月にナショナルチームに初招集された。同年の合衆国代表は、モントルーバレーマスターズ、ワールドグランプリ、NORCECA選手権を破竹の勢いで連破していった。 バックマンは、2002年にミネソタ・チリに入団してプロバレーボーラーとなり、同年のUS選手権で優勝を飾った。同年、ドイツで開催された世界選手権では準優勝に輝いた。以後の2年間は、集中してナショナルチームに身を捧げ、輝かしい戦績を残した。すなわち2003年のパンアメリカンカップ優勝およびベストブロッカー選出、パンアメリカン競技大会 での銅メダル獲得、NORCECA選手権優勝、2003年のワールドカップ銅メダル獲得などである。 2004-05シーズンに、バックマンは初めて国外でプレーすることを選択し、イタリアセリエA2のアルツァーノに入団し、同チームをセリエA1昇格に導いた。2005年秋のグランドチャンピオンズカップ(銀メダル)を最後にナショナルチームから退いた。 2007年1月、Vプレミアリーグのパイオニアに加入予定であったバウティスタ・ユデルキスが骨折により出場不可能となったことに伴い[5]、吉田敏明(前アメリカ合衆国女子代表監督)はバックマンを招き[6]、2006-07シーズンの13試合でプレーした[7]。 私生活バックマンは、ヒュー・マッカーチョン(元アメリカ合衆国男女監督、現ミネソタ大学女子チーム監督)と結婚している。 バックマンの両親は、2008年8月にオリンピック観戦と観光で訪れていた北京で、暴漢に襲われた。実父は死亡し、実母も瀕死の重傷を負った[8]。詳細は2008年北京鼓楼刺傷事件を参照のこと。 所属クラブ
球歴
受賞歴
脚注
外部リンク
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