石井光治
石井 光治(いしい みつはる、1936年(昭和11年) - 2009年(平成21年)6月15日)は、日本の宗教家。実業家。映画プロデューサー。世界基督教統一神霊協会の日本統一教会第6代会長、世界日報社会長を務めた。 生涯1963年(昭和38年)の第1期統一原理特別修練に立正佼成会から参加し、後に世界基督教統一神霊協会へ入教した[1]。 1969年(昭和44年)5月1日、統一教会本部で22組の男女が文鮮明・韓鶴子夫妻から祝福を受けて合同結婚した[2][3]。このときに石井は阿部トミ子と結ばれた[4][注 1]。 1972年(昭和47年)に国際勝共連合渉外部長に就任。同年12月8日、石井、幸世商事代表取締役の増田勝、同取締役の藤本三雄の3人が外国為替及び外国貿易管理法違反で起訴された[7]。 1975年(昭和50年)に世界日報社社長、統一産業社長に就任。 1979年(昭和54年)2月24日、国際勝共連合と自民党の国防関係国会議員が中心となり、「スパイ防止法制定促進国民会議」が設立された[8][9][10][11]。呼びかけ人は木内信胤、朝比奈宗源、宇野精一、郷司浩平、宝井馬琴、三輪知雄の6人[8]。サンケイ会館で設立発起人総会が開かれ、石井は発起人に名を連ねた[注 2]。 1981年(昭和56年)に公開された映画『インチョン!』では映画プロデューサーを務めた[12]。 1984年(昭和59年)4月18日、自民党・民社党の議員と保守系財界人らが「スパイ防止法のための法律制定促進議員・有識者懇談会」を設立し、岸信介が会長に就任した[13][14][9][15]。当時世界日報社社長を務めていた梶栗玄太郎、石井は常任幹事に就いた[16]。 1996年(平成8年)6月26日、世界基督教統一神霊協会日本教会の第6代会長に就任[17]。1998年(平成10年)、世界日報社会長に就任[18]。 2009年(平成21年)6月15日、死去。享年72[19]。 脚注注釈
出典
参考文献
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