天野武一

天野 武一(あまの ぶいち、1908年9月21日 - 1997年12月2日)は、日本の検察官最高裁判所判事

概要

1932年(昭和7年)に東京帝国大学法科を卒業[1]石川島造船所に入社したが、転身[1]。1934年(昭和9年)に司法官試補となり、1935年(昭和10年)に検事となった[1]

東京地検が振り出し、1943年(昭和18年)に司法省刑事局に勤務[1]司法大臣秘書官、法務府人事課長、経理部長を歴任[1]1955年(昭和30年)に東京地検特捜部長に就任し、売春汚職事件を摘発した[1]。その後、甲府地検検事正、法務総合研究所長、神戸地検検事正、大阪地検検事正を務めた[1]。大阪地検検事正時代には大阪タクシー汚職事件を手掛けた[1]。その後、高松高検検事長、福岡高検検事長を務めた後、1970年(昭和45年)3月に最高検次長検事、同年10月に大阪高検検事長に就任[1]

1971年(昭和46年)5月に最高裁判所判事に就任[2]。就任の挨拶では「自分がそうできるわけではないが、判断は全人格的、全人間的なもの。片々たる知識ではなし、専門的素質ではなし」と話す[2]

高田事件1972年(昭和47年)の最高裁判決では迅速な裁判が侵害されているとて免訴判決を出した多数意見に対して、「審理遅延の主たる原因とその遅延から受ける被告の不利益の有無やその程度に関する事実関係についてもっと調べるために高裁に差し戻すべき」とする反対意見を出した。

1978年(昭和53年)9月に定年退官した[3]

1979年(昭和54年)2月24日、国際勝共連合と自民党の国防関係国会議員が中心となり、「スパイ防止法制定促進国民会議」が設立された[4][5][6][7]。呼びかけ人は木内信胤朝比奈宗源宇野精一郷司浩平宝井馬琴三輪知雄の6人[4]。サンケイ会館で設立発起人総会が開かれ、天野は発起人に名を連ねた[注 1]

脚注

注釈

  1. ^ 「スパイ防止法制定促進国民会議」の主たる発起人は以下のとおり。久保木修己松下正寿神川彦松大石義雄江木武彦瓦林潔白井浩司升本喜兵衛桶谷繁雄尾上正男井本臺吉三上英雄黛敏郎中河与一桜田武、天野武一、白井永二弟子丸泰仙安岡正篤加瀬英明松本明重村田五郎加藤陽三西村直己柏村信雄鈴木一杉田一次世界日報社社長の石井光治中外日報社社長の本間昭之助など[4]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i 野村二郎 1986, p. 174.
  2. ^ a b 野村二郎 1986, p. 175.
  3. ^ 野村二郎 1986, p. 176.
  4. ^ a b c 茶本繁正「ファシズムの尖兵・勝共連合」 『社会主義』1979年7月号、社会主義協会、68-73頁。
  5. ^ 当団体について”. 「スパイ防止法」制定促進サイト. スパイ防止法制定促進国民会議. 2023年2月17日閲覧。
  6. ^ 専修大学社会科学研究所月報 No.273” (1986年4月20日). 2022年11月14日閲覧。
  7. ^ 深草徹. “今、再び特定秘密保護法を考える”. 2022年11月14日閲覧。

参考文献

  • 野村二郎『最高裁全裁判官:人と判決』三省堂、1986年。ISBN 9784385320403 
  • 野村二郎『日本の裁判史を読む事典』自由国民社、2004年。ISBN 9784426221126