直隷省 (中華民国)
直隷省(ちょくれいしょう)は、中華民国建国初期に存在した省。現在の河北省の一部に相当する。 地理直隷省の管轄区域は2度にわたる大きな改革を経ている。1914年(民国3年)1月の北部14県が熱河特別区域及び察哈爾特別区域に移管され、同年5月に順天府地域が京兆地方として分離されたことで行政範囲が確定した。 歴史辛亥革命により中華民国が成立したが、直隷省は清朝の実効支配下におかれていた。1912年(民国元年)3月、北京政府が成立に伴い直隷省も中華民国政府の行政権が及ぶようになり、清代の地方長官官職名であった直隷総督は直隷都督に改称された。1913年(民国2年)の『劃一現行各省地方行政官庁組織令』により民政長が新設され、民政部門を分離した行政機構が成立、1914年(民国3年)5月には民政長は巡按使と改称され、その下部に政務、財務、建設等の庁が設置された。1916年(民国5年)に巡按使は省長と改称、1928年(民国17年)6月に河北省に改編され直隷省は消滅した。 省会当初は保定県に設置されたが、1914年(民国3年)に天津県に移転している。 行政区画道制1912年(民国元年)に直隷省内でには天津道、大広順道(12月廃止)、通永道(12月廃止)、熱河道(12月廃止)、口北道の5道が設置され、その下部に115の庁、州、県を管轄した。1913年(民国2年)2月、省内に保道、易道、定道、深道に改編、後に渤海道、范陽道、冀南道、口北道と、さらに翌年には津海道、保定道、大名道、口北道と改称されている。 1913年(民国2年)5月には熱河道の一部に朝陽道、及び赤峰道を設置する計画があったが、この計画は実施されていない。1928年(民国17年)、南京国民政府が成立すると道制は廃止された。 県河北省に改編される直前の県は下記の通り。(50音順) 脚注
関連項目
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