渋谷 (池田市)
渋谷(しぶたに)は、大阪府池田市にある地名である[1][2]。一丁目から三丁目まである。郵便番号は563-0028[3]。当地域の人口は、2017年12月末時点で 3,606 人である(池田市市民生活部総合窓口課の資料による)[4]。 地理池田市の中部に位置する[5]。南西部に一丁目があり、南東部に二丁目、北部に三丁目がある[5]。北は畑三丁目と、西は五月丘一丁目、三丁目および四丁目と、南は緑丘一丁目と、東は畑一丁目とそれぞれ隣接している[5]。当地域は、北摂山系の五月山の南側山麓に位置し、北から南へ向かって傾斜する地形をもっており[6][5][7]、第一種低層住居専用地域に指定された閑静な住宅街が広がる[1]。 二丁目には、新池がある[5]。三丁目は、池田山風致地区に指定されている[8]。当地域の南端部には、大阪府道9号箕面池田線(中央線)が通っている[5]。当地域の東端部には、荘園西畑線が通っている[9]。当地域は、池田市立秦野小学校および池田市立渋谷中学校の校区に含まれる[10]。 地価歴史ある高級住宅街が連続する北摂地域に位置しており、公園など緑も多い。渋谷の地価は2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば渋谷1丁目10-12の地点で19万1000円/m2となっている[11]。 歴史1605年(慶長10年)の『摂津国絵図』の中に「渋谷村」との記載がみられる[12]。1879年(明治12年)、豊島郡上渋谷村、下渋谷村が豊島郡渋谷村となる[13]。1884年(明治17年)、豊島郡渋谷村が豊島郡上渋谷村、下渋谷村となる[14]。1889年(明治22年)4月1日、市制・町村制が施行され、豊島郡上渋谷村、下渋谷村が秦野村上渋谷、下渋谷となる[1][15][16]。秦野村は、池田みかんの栽培がさかんで、現在の茶臼山公園から渋谷および畑地区にかけての丘陵域には、みかんの畑が存在していた[17][18]。 1924年(大正13年)、画家の吉田堅治が豊能郡秦野村(現在の下渋谷)で生まれる[19][20]。1935年(昭和10年)8月10日、池田町、秦野村、細河村、北豊島村が合併し、池田町となる[21]。1944年(昭和19年)4月、町名変更が行われ、秦野村上渋谷、下渋谷が、上渋谷町、下渋谷町となる[22]。1948年(昭和23年)、池田市立高等学校(現在の大阪府立渋谷高等学校)が、上渋谷町210番地(現在の五月丘四丁目)の発動機製造(現ダイハツ工業)の渋谷寮に校舎を移転する。当時は、池田市立渋谷中学校が併置されていた[18][23]。 1979年(昭和54年)1月1日、上渋谷町、下渋谷町、畑町の一部が、渋谷一丁目から三丁目に変更される[24][12]。1981年(昭和56年)4月、三丁目に渋谷会館が開館される[25]。1982年(昭和57年)、自性院にあるカイヅカイブキが、市指定文化財の天然記念物に指定される[1]。1983年(昭和58年)から1985年(昭和60年)にかけて、上渋谷地区の土地区画整理事業が、池田市上渋谷土地区画整理組合によって行われる。それまで、同地区は大半が農地として利用されており、地区西部の丘陵地は荒地であり、住宅地は、ほんの一部にとどまっている状況であった[6]。1998年(平成10年)、三丁目の原池が埋め立てられ、都市計画公園の街区公園に分類される渋谷公園が開設される[26]。2015年(平成27年)10月1日、北摂TNRサポート「のらねこさんの手術室」が一丁目に開院される[27]。2021年(令和3年)10月14日、カフェ「sunday mood」が一丁目に開店される[28][29]。 施設脚注
参考文献
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