浦幌駅(うらほろえき)は、北海道十勝郡浦幌町本町(ほんちょう)にある北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線の駅である。駅番号はK40。電報略号はウラ。事務管理コードは▲110425[1][2]。
定期旅客列車は普通列車のほか、特急「おおぞら」のうち下り9号・上り2号が停車する[3]。
歴史
駅名の由来
アイヌ語の「ウララポロ[注釈 5]」(霧・多い)、あるいは「オラプオロ(オラポロ)[注釈 6]」(ヤマシャクヤク?・の所)からとされる[10]。
駅構造
のりば
番線 |
路線 |
方向 |
行先
|
1・2
|
■根室本線
|
上り
|
帯広・新得方面
|
下り
|
釧路方面
|
- 基本的に、本線である駅舎側の1番線を使用し、2番線は、列車交換の場合に一部の普通列車が使用する。
-
待合室(2018年9月)
-
ホーム(2018年9月)
-
跨線橋(2018年9月)
利用状況
1日の平均乗降人員は以下の通りである[11]。
乗降人員推移
|
年度
|
1日平均人数
|
2011
|
172
|
2012
|
156
|
2013
|
144
|
2014
|
126
|
2015
|
124
|
2016
|
|
2017
|
132
|
2018
|
110
|
駅周辺
浦幌町の中心駅。
隣の駅
- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
- ■根室本線
- ■普通
- 新吉野駅 (K39) - 浦幌駅 (K40) - (常豊信号場) - (上厚内信号場) - 厚内駅 (K42)
脚注
注釈
- ^ 1922年(大正11年)7月7日に当浦幌炭砿は馬車鉄道から切り替えるため、常室-新浦幌と称する終端駅を持つ鉄道新設、並びに浦幌駅との連絡設備設置の許可を受けているが、結局工事に着手せず、1928年(昭和3年)6月に免許が失効した。(1928年6月9日付け官報)
- ^ 大和鉱業経営悪化のため中止となった。このため同線で使用するはずであった1935年(昭和10年)に購入した国鉄7200形蒸気機関車3両は、浦幌炭砿と共に1936年(昭和11年)10月19日付けで雄別炭礦鉄道に譲渡され、雄別本線で使用された。
- ^ 1948年撮影航空写真(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス) 現・常豊信号場(当時はこの信号場は存在しない)浦幌側手前付近から北へ分岐して向かう未成線の跡が残る
- ^ それまでは専用道路をトラックにより当駅まで運炭していたが、冬期間の積雪や凍結などで通行不能になることが頻繁だった。炭砿の経営が大和鉱業から雄別炭礦鉄道に移って隣の尺別炭砿と同じ経営者となったため、鉄道のある尺別炭砿まで索道を設けた。しかしこれも冬期間の凍結によりゴンドラ落下などの運用障害がしばしば起きたため、抜本的な解決策として尺別側へ隧道を通して坑内電車軌道により運炭することが計画され、1939年(昭和14年)9月に工事開始、1941年(昭和16年)には尺浦通洞と呼ばれる延長約6kmの隧道が完成、軌道敷設及び試運転を経て1942年(昭和17年)11月より運炭が開始された。
- ^ アイヌ語ラテン翻字: urar-poro
- ^ アイヌ語ラテン翻字: orap-oro
出典
参考文献
- 北海道旅客鉄道釧路支社編『JR釧路支社 鉄道百年の歩み』(2001年)
- 浦幌町史 昭和46年3月発行。
- 「尺別鉄道 50年の軌跡」 大谷正春著 昭和59年7月 ケーエス興産発行。
- 沿線炭礦要覧 昭和12年2月 札幌鉄道局発行。
- 釧路叢書 第14巻「釧路炭田」昭和49年1月 釧路市発行。
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
浦幌駅に関連するカテゴリがあります。
外部リンク
|
---|
|
貨物支線 (1989年廃止) | |
---|
*打消線は廃駅 |