水野 浩(みずの ひろし、1899年4月23日 - 1970年3月22日[要出典])は、日本の俳優である[1][2][3][4][5][6][7][8]。本名は水野 浩一(みずの こういち)[1][2]。青年期の舞台俳優から映画俳優に転向、老年期まで脇役に徹したことで知られる[1][2]。
人物・来歴
1899年(明治32年)4月23日、兵庫県神戸市に生まれる[1][2]。
旧制・兵庫県第二神戸中学校(通称神戸二中、現在の兵庫県立兵庫高等学校)を卒業し、演劇を志して、佐藤紅緑が1915年(大正4年)に起こした劇団「日本座」に参加、その後、喜劇や歌劇(オペラ)、剣劇等の劇団を渡り歩く[1][2]。満30歳を迎える1929年(昭和4年)、京都の松竹下加茂撮影所に入社、舞台俳優から映画俳優に転向する[1][2]。その後、月形龍之介の月形プロダクション、尾上菊太郎の尾上菊太郎プロダクションに移籍したというが[1][2]、出演記録は不明である[3][4]。
1934年(昭和9年)ころまでに新興キネマに移籍、同年3月21日に公開された松田定次監督の『天保水滸伝』に「名主の朋友」役で出演した記録がある[3]。1935年(昭和10年)には、同社が新設した新興キネマ東京撮影所(現在の東映東京撮影所)の現代劇にも出演したが、新興キネマ京都撮影所(現在の東映京都撮影所)に所属して、時代劇に多く出演した[1][2][3][4]。1941年(昭和16年)には、日活京都撮影所に移籍したが、日活の製作部門は、翌1942年(昭和16年)1月10日に戦時統合で新興キネマ、大都映画と合併して大映を形成、それにあたって水野は「日活京都撮影所」が名称変更した大映京都撮影所(現存せず)に継続入社した[1][2][3][4]。
第二次世界大戦終結後も引き続き同撮影所に所属したが、1948年(昭和23年)、当時大映が配給提携していた東横映画が製作した、佐々木康監督の『男を裁く女』、斎藤寅次郎監督の『のど自慢狂時代』に出演したのきっかけに、1949年(昭和24年)秋には東横映画に移籍した[1][2][3][4][6]。同社は、1951年(昭和26年)4月1日、太泉映画、東京映画配給と合併して東映を形成、水野はひきつづき東映京都撮影所に所属した[1][2][3][4][6]。すでに50代になっており、老け役を中心に数多くの東映時代劇に出演、1960年代には、テレビドラマにも出演した[1][8]。
1970年3月22日、死去した。70歳没。[要出典] 曾孫には、元アイドル仮面女子、女優として活動中の、水野ふえが居る。
『日本映画俳優全集・男優編』(キネマ旬報社、1979年)の水野の項の執筆者・吉田智恵男は、晩年の老け役の水野を評して、「温厚な人柄がにじみ出て、ほのぼのとした暖かさをたたえたものが多く、親切な茶店の老爺、人情味のある牢番、忠実な下僕、人の好い大家など、心なごむ庶民像を生き生きと演じた」と締めくくっている[1]。茶店の老爺役といえば、『満月三十石船』(監督丸根賛太郎、1952年)であり、牢番役といえば『天兵童子 第一篇 波濤の若武者』(監督内出好吉、1955年)、『天兵童子 第二篇 高松城の密使』(監督同、同年)、『天兵童子 完結篇 日の丸初陣』(監督同、同年)の牢番与吾六といった作品、役どころである[3][6]。
フィルモグラフィ
特筆以外すべてクレジットは「出演」である[3][4]。公開日の右側には役名[3][4]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[5][9]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。
新興キネマ
特筆以外すべて製作・配給は「新興キネマ」、特筆以外はサイレント映画である[3][4]。
新興キネマ京都撮影所
特筆以外すべて製作は「新興キネマ京都撮影所」(上記と同一スタジオ)、配給は「新興キネマ」、特筆以外はトーキーである[3][4]。
- 『ぢゃぢゃ馬権八』 : 監督押本七之輔(押本七之助)、サイレント映画、1935年3月7日公開 - 酒屋の親爺
- 『ヒュッテの一夜』 : 監督落合吉人・西鉄平、サウンド版、1935年4月11日公開 - おしげの父
- 『黄門漫遊記』 : 監督押本七之輔、サイレント映画、1935年4月18日公開 - 老人宗匠
- 『姓は丹下名は茶善』 : 監督藤田潤一、録音マキノ正博、サウンド版、1935年5月8日公開 - 渦巻道場主渦巻四海
- 『愛憎一代』 : 監督松田定次、録音マキノ正博、サウンド版、1935年6月6日公開 - 由利家の下僕喜助
- 『太閤記 藤吉郎走卒の巻』 : 監督滝沢英輔、録音マキノ正博、サウンド版、1935年8月15日公開 - 岩巻一若
- 『白牡丹』 : 監督野淵昶、製作片岡千恵蔵プロダクション、配給新興キネマ、1935年11月1日公開 - 易者
- 『太閤記 藤吉郎出世飛躍の巻』 : 監督渡辺新太郎、録音マキノ正博、サウンド版、1936年1月5日公開 - 岩巻さん
- 『野崎小唄』 : 監督木村恵吾、サウンド版、1936年3月10日公開 - 久松の父久作
- 『快傑黒頭巾 前篇』 : 監督渡辺新太郎、録音マキノ正博、サウンド版、1936年3月21日公開 - 大村挽斉
- 『お七鹿の子染』 : 監督押本七之輔、サウンド版、1936年4月1日公開 - 丁稚弥吉
- 『快傑黒頭巾 後篇』 : 監督渡辺新太郎、録音マキノ正博、サウンド版、1936年4月29日公開 - 大村挽斉
- 『五月晴一本鎗』 : 監督石田民三、1936年6月12日公開 - 左官の三太
- 『燗漫城』 : 監督木村恵吾、サウンド版、1936年7月8日公開 - 農夫
- 『悲恋嵐の道』 : 監督押本七之輔、サウンド版、1936年7月25日公開 - 庄屋
- 『海道百里』 : 監督石田民三・滝沢英輔・堀田正彦、サウンド版、1936年9月1日公開 - 源おじ
- 『振袖顔役』 : 監督堀田正彦、サウンド版、1936年10月9日公開 - 漁師平助
- 『浪人大将』 : 監督渡辺新太郎、サウンド版、1936年11月7日公開 - 若原三右衛門
- 『鳴門秘帖 前篇 本土篇』 : 監督吉田保次、製作嵐寛寿郎プロダクション、配給新興キネマ、1936年11月22日公開 - 平賀源内
- 『仇討膝栗毛』 : 監督森一生、1936年12月17日公開 - 新之助の叔父、63分完全尺で現存(NFC所蔵[5])
- 『児雷也 前篇 妖雲之巻』 : 監督山内英三、サウンド版(茂原式新興フォーン)、1936年12月31日公開 - 蛞蝓仙人、総集篇80分尺で現存(NFC所蔵[5])
- 『児雷也 後篇 変幻之巻』 : 監督山内英三、サウンド版(茂原式新興フォーン)、1937年1月5日公開 - 蛞蝓仙人、同上[5]
- 『国訛道中笠』 : 監督仁科熊彦、製作嵐寛寿郎プロダクション、配給新興キネマ、1937年1月14日公開 - 大戸の関所の役人、63分完全尺で現存(NFC所蔵[5])
- 『鳴門秘帖 鳴門篇』 : 監督吉田保次、製作嵐寛寿郎プロダクション、配給新興キネマ、1937年2月18日公開 - 平賀源内
- 『おつる巡礼歌』 : 監督押本七之輔、1937年2月23日公開 - 千住院の和尚
- 『勤王田舎侍』 : 監督野淵昶、1937年3月6日公開 - 老僕松兵衛
- 『べらんめえ十万石』 : 監督仁科熊彦、製作嵐寛寿郎プロダクション、配給、1937年3月18日公開 - 有賀八郎
- 『岩見重太郎』 : 監督押本七之輔、1937年4月1日公開 - 名主藤左衛門
- 『さむらひ音頭』 : 監督木村恵吾、1937年4月29日公開 - 安藤対島守
- 『本朝七不思議』 : 監督寿々喜多呂九平、1937年5月13日公開 - 源次郎の兄で主膳の下役天野源左衛門
- 『幻の白頭巾』 : 監督押本七之輔、1937年5月20日公開 - 多木家老僕吉蔵
- 『南風薩摩歌』 : 監督牛原虚彦、1937年7月10日公開 - 町の有力者安右衛門
- 『神変稲妻』 : 監督竹久新、1937年8月5日公開 - 源之助の守護役大久保与左衛門
- 『祐天吉松』 : 監督森一生、1937年8月12日公開 - 経師屋の客、68分尺で現存(NFC所蔵[5])
- 『七度び狐』 : 監督木藤茂、1937年9月23日公開 - 行者
- 『盗人厩』 : 監督仁科熊彦、1937年10月1日公開 - 菱刈勘解由
- 『八幡船隊』 : 監督押本七之輔、1937年10月7日公開 - 秋山監物
- 『岡野金右衛門』 : 監督森一生、1937年10月7日公開 - 吉田忠左衛門
- 『旗本伝法 竜の巻』 : 監督牛原虚彦、1937年11月3日公開 - 松平伊豆守
- 『旗本伝法 虎の巻』 : 監督牛原虚彦、1937年11月11日公開 - 松平伊豆守
- 『決闘両国橋』 : 監督竹久新、1937年11月18日公開 - 松善の亭主
- 『元禄十六年』 : 監督森一生、1937年11月25日公開 - 貝賀孫左衛門
- 『静御前』 : 監督野淵昶、1938年1月14日公開 - 駿河二郎
- 『大岡政談 越後屋騒動』 : 監督木村恵吾、1938年3月1日公開 - 旗本伊藤源次郎
- 『剣豪荒木又右衛門』 : 監督伊藤大輔、1938年3月10日公開 - 志摩主膳
- 『忍術江戸荒し』 : 監督堀田正彦、1938年3月23日公開 - 佐渡守の用人平左衛門
- 『宝の山に入る退屈男』 : 監督西原孝、1938年4月14日公開 - 甲州武田家の残党宮本一斎
- 『紀国屋文左衛門』 : 監督野淵昶、1938年5月12日公開 - 江戸蜜柑問屋河内屋
- 『妖魔白滝姫』 : 監督木村恵吾、1938年5月31日公開 - 梅庵
- 『歌吉行燈』 : 監督仁科紀彦、1938年6月8日公開 - 宮田藤左衛門
- 『黒田誠忠録』 : 監督衣笠貞之助、製作松竹下加茂撮影所、配給松竹キネマ、1938年6月17日公開 - 板倉主膳
- 『右門捕物帖 張子の虎』 : 監督押本七之輔、1938年6月23日公開 - 人形師一菅斎
- 『一休さん』 : 監督仁科紀彦、1938年8月4日公開 - 竹斎老人
- 『お洒落狂女』 : 監督寿々喜多呂九平、1938年8月20日公開 - 狂女の父近江屋五兵衛
- 『宮本武蔵』 : 監督森一生、1938年10月13日公開 - 武蔵の実父吉岡無二斉
- 『田宮坊太郎』 : 監督渡辺新太郎、1938年11月16日公開 - 一條竜風軒
- 『烈女競艶録』 : 監督仁科紀彦、1938年11月17日公開 - 佐渡守の家臣久右衛門
- 『孫悟空 一走万里の巻』 : 監督寿々喜多呂九平、1938年12月31日公開 - 高太公
- 『孫悟空 金角銀角の巻』 : 監督寿々喜多呂九平、1939年1月7日公開 - 高太公
- 『伊達大評定』 : 監督仁科紀彦、1939年1月14日公開 - 喜兵衛
- 『孫悟空 百花女園の巻』 : 監督寿々喜多呂九平、1939年1月14日公開 - 高太公
- 『元禄女大名』 : 監督木村恵吾、1939年2月1日公開 - 七重の叔父後藤三兵衛
- 『塚原武勇伝』 : 監督渡辺新太郎、1939年2月8日公開 - 上泉伊勢守
- 『次郎長裸道中』 : 監督押本七之輔、1939年3月8日公開 - 医師山田松庵、67分尺で現存(NFC所蔵[5])
- 『忠孝小笠原狐』 : 監督仁科紀彦、1939年3月15日公開 - 月本主膳
- 『出世餅 藤堂高虎』 : 監督吉田信三、1939年3月23日公開 - 餅屋長兵衛
- 『阿波狸合戦』 : 監督寿々喜多呂九平、1939年4月13日公開 - 富田の八蔵
- 『足軽女夫鑑』 : 監督西原孝、1939年4月25日公開 - 重蔵の父
- 『大岡越前守』 : 監督寺門静吉、1939年5月11日公開 - 千吉の父
- 『山内一豊の妻』 : 監督牛原虚彦、1939年6月8日公開 - 小笠原伊賀
- 『お江戸奴侍』 : 監督木藤茂、1939年6月15日公開 - 福島家遺臣白興三右衛門
- 『紫式部』 : 監督野淵昶、1939年6月22日公開 - 隆綱
- 『西郷と益満』 : 監督仁科紀彦、1939年7月25日公開 - 佐川源左衛門
- 『姫君大納言』 : 監督押本七之輔、1939年9月14日公開 - 久馬の父
- 『鬼あざみ』 : 監督森一生、1939年10月1日公開 - 弥右衛門
- 『狸御殿』 : 監督木村恵吾、1939年10月12日公開 - 酒屋の爺さん
- 『長脇差団十郎』 : 監督牛原虚彦、1939年11月1日公開 - 用人正本金左衛門
- 『里見八犬伝』 : 監督吉田信三、1939年11月15日公開 - 宿屋古那屋の主人文吾兵衛
- 『忍術息子』 : 監督寺門静吉、1939年12月15日公開 - いんちき仙人
- 『変化騒動』 : 監督渡辺新太郎、1940年2月17日公開 - 治郎八爺
- 『旗岡巡査』 : 監督牛原虚彦、1940年2月28日公開 - 大福餅屋の爺
- 『花暦八笑人』 : 監督三星敏雄、1940年4月25日公開 - 眼八
- 『花咲爺』 : 監督寺門静吉、1940年5月30日公開 - 庄屋
- 『秋葉の火祭』 : 監督西原孝、1940年6月13日公開 - 僧東竜、64分尺で現存(NFC所蔵[5])
- 『親子鳥』 : 監督森一生、1940年6月23日公開 - 橋番安吉老人
- 『安中草三郎』 : 監督押本七之輔、1940年6月30日公開 - 甚兵衛
- 『女馬子唄』 : 監督渡辺新太郎、1940年8月14日公開 - 宇佐衛門
- 『元禄深編笠』 : 監督西原孝、1940年11月14日公開 - 経師屋亀吉
- 『国姓爺合戦』 : 監督木村恵吾、1940年11月19日公開 - 和唐内の父で大明の武将鄭芝竜後の老一官
- 『牛若丸』 : 監督押本七之輔、1941年1月9日公開 - 東光坊
- 『神崎東下り』 : 監督木藤茂、1941年1月23日公開 - 講釈師赤松竜山
- 『罪なき町』 : 監督森一生、1941年1月30日公開 - 国府孫右衛門
- 『江戸の紅葵』 : 監督吉田信三、1941年2月13日公開 - 水戸の勤王学者桜井月三
日活京都撮影所
特筆以外すべて製作は「日活京都撮影所」、すべて配給は「日活」、本節以下はすべてトーキーである[3][4][7]。
大映京都撮影所
特筆以外すべて製作は「大映京都撮影所」、配給は「映画配給社」あるいは「大映」である[3][4]。
- 配給 映画配給社
- 『維新の曲』 : 監督牛原虚彦、応援演出木村恵吾、1942年5月14日公開 - 辻椅曹
- 『独眼龍政宗』 : 監督稲垣浩、1942年7月2日公開 - 役名不明、83分尺で現存(NFC所蔵[5])
- 『お市の方』 : 監督野淵昶、製作大映京都第二撮影所、1942年9月10日公開 - 弥市
- 『鞍馬天狗』 : 監督伊藤大輔、1942年10月29日公開 - 御座り松、90分尺で現存(NFC所蔵[5])
- 『三代の盃』 : 監督森一生、1942年12月11日公開
- 『富士に立つ影』 : 監督池田富保・白井戦太郎、1942年12月27日公開 - 泰右衛門
- 『御存じ右門 護る影』 : 監督西原孝、1942年2月25日公開 - 役名不明、約1分の断片のみが現存(NFC所蔵[5])
- 『マリア・ルーズ號事件 奴隷船』 : 監督丸根賛太郎、1943年9月2日公開 - 支那人何安
- 『無法松の一生』 : 監督稲垣浩、1943年10月28日公開 - 居酒屋の亭主、78分尺で現存(NFC所蔵[5])
- 『剣風練兵館』 : 監督牛原虚彦、1944年1月3日公開 - 下僕・岩吉、87分尺で現存(NFC所蔵[5])
- 『小太刀を使ふ女』 : 監督丸根賛太郎、1944年8月3日公開 - 定平
- 『狼火は上海に揚る』(中国語題『春江遺恨』) : 監督稲垣浩、製作大映・中華電影、1944年12月28日公開 - 岩瀬弥四郎、65分尺で現存(NFC所蔵[5])
- 配給 大映
- 『東海水滸伝』 : 監督伊藤大輔・稲垣浩、1945年7月12日公開 - 三十石船の客
- 『狐の呉れた赤ん坊』 : 監督丸根賛太郎、1945年11月8日公開 - 久右衛門
- 『最後の攘夷党』 : 監督稲垣浩、1945年12月20日公開 - 市兵衛
- 『殴られたお殿様』 : 監督丸根賛太郎、1946年3月21日公開 - 市兵衛
- 『国定忠治』 : 監督松田定次、1946年9月10日公開 - 嘉右衛門
- 『槍おどり五十三次』 : 監督森一生、1946年11月26日公開 - 須上明十郎、79分完全尺で現存(NFC所蔵[5])
東横映画
すべて製作は「東横映画」(現在の東映京都撮影所)、特筆以外配給は「東京映画配給」である[3][4]。
東映京都撮影所
特筆以外すべて製作は「東映京都撮影所」、特筆以外配給は「東映」である[3][4]。
テレビドラマ
脚注
出典
参考文献
関連項目
外部リンク