松平康詮

 
松平 康詮
時代 江戸時代中期
生誕 元禄14年(1701年
死没 明和5年12月28日1769年2月4日
改名 康詮→泰翁(法名)
別名 源太郎、主馬
墓所 天徳寺
官位 従五位下内匠頭
幕府 江戸幕府旗本 使番新番頭、西ノ丸小姓組番頭、留守居
主君 徳川家継吉宗家重家治
氏族 松井松平家
父母 父:松平康納 母:松平重花の娘
兄弟 康詮康年
養兄弟:石谷眞清
松平康豊養女 (松平康郷の娘)
康休康道
養子:康孝
テンプレートを表示

松平 康詮(まつだいら やすあきら)は、江戸時代中期の旗本

経歴

松平康納の子として生まれる。元文4年(1739年)11月27日に家督を継ぐ。寛保2年(1742年)10月15日に使番となり、12月18日に布衣の着用を許される。宝暦3年(1753年)3月15日に新番頭、宝暦9年(1759年)10月4日に西ノ丸小姓組番頭となり、12月7日に従五位下内匠頭に叙任される。宝暦11年(1761年)4月10日に留守居となり、明和5年(1768年)12月28日に68歳で死去。

系譜

参考文献

 

Prefix: a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9

Portal di Ensiklopedia Dunia