市橋直方
市橋 直方(いちはし なおかた)は、江戸時代中期の大名。近江国仁正寺藩4代藩主。仁正寺藩市橋家5代。官位は従五位下・壱岐守。 生涯越後国新発田藩4代藩主・溝口重雄の次男として新発田にて誕生した。幼名は大助。通称は主計、兵部。宝永2年(1705年)4月21日、先代藩主・市橋信直の養嗣子となる。宝永3年4月28日、5代将軍・徳川綱吉に御目見する。享保5年(1720年)4月26日、信直の死去で跡を継いだ。同年12月18日、従五位下・壱岐守に叙任した。享保15年(1730年)3月28日、大番頭に就任した。享保18年(1733年)5月11日、辞職する。藩政においては仏教に対して信心深かったことから、領内の多くの廃寺を復興している。享保12年(1727年)頃から病に倒れて療養し始める。 元文元年(1736年)5月25日、養嗣子の直挙に家督を譲って隠居した。元文2年(1737年)11月13日、剃髪して享山と号した。寛延3年(1750年)9月11日、江戸で死去した。享年62。法号は恭安院殿元徳享山大居士。墓所は東京都港区高輪の東禅寺。 系譜父母 正室
側室
子女 養子 脚注注釈出典
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