松平康道

 
松平 康道
時代 江戸時代中期
生誕 寛延3年(1750年
死没 寛政12年10月16日1800年12月2日[1]
別名 岩吉郎、主税
官位 従五位下伊勢守、下野守、佐渡守
幕府 江戸幕府旗本 中奥小姓、小姓組番頭、書院番頭、大番頭、西ノ丸側衆
主君 徳川家治家斉
氏族 松井松平家
父母 父:松平康詮、養父:松平康年
兄弟 康休康道
養兄弟:康孝斎藤利有室、康知
五島盛道の娘
康任康正
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松平 康道(まつだいら やすみち)は、江戸時代中期の旗本

経歴

松平康詮の三男として生まれ、松平康年の養子となる。明和7年(1770年)5月7日に養父の遺跡を継ぐ。明和8年(1771年)5月16日に中奥小姓となり、安永3年(1774年)12月18日に従五位下伊勢守に叙任される。天明6年(1786年)5月4日に西ノ丸小姓組番頭となり、閏10月20日より本城勤めとなる。天明7年(1787年)8月26日に書院番頭となり、寛政4年(1792年)12月24日より大番頭、寛政9年(1797年)11月9日より西ノ丸側衆を務めた。寛政12年(1800年)10月16日死去。

系譜

脚注

  1. ^ 『寛政譜以降旗本家百科事典 第5巻』東洋書林、1998年、2581頁。

参考文献

 

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