松平康休

 
松平 康休
時代 江戸時代中期
生誕 寛延3年(1750年
死没 享和2年12月11日1803年1月4日[1]
別名 為三郎、主馬
官位 従五位下内匠頭
幕府 江戸幕府旗本 中奥小姓、小姓組番頭、書院番
主君 徳川家治家斉
氏族 松井松平家
父母 父:松平康詮
兄弟 康休康道
前妻:安部信允の娘
後妻:伊東長丘の娘
康彊
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松平 康休(まつだいら やすひろ)は、江戸時代中期の旗本

経歴

松平康詮の子として生まれる。明和6年(1769年)3月4日に父の遺跡を継ぐ。安永5年(1776年)11月18日に中奥小姓となり、安永6年(1777年)6月4日に従五位下内匠頭に叙任される。天明8年(1788年)6月1日に小姓組番頭、寛政7年(1795年)3月7日に書院番頭となった。享和2年(1802年)12月11日に死去。

系譜

参考文献

脚注

出典

  1. ^ 『寛政譜以降旗本家百科事典 第5巻』東洋書林、1998年、2596頁。

 

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