松平友著
松平 友著(まつだいら ともあき)は、江戸時代前期から中期にかけての武士。川田窪松平家の祖。 生涯尾張藩2代藩主・徳川光友の十一男として誕生。母は梅香院(鈴木氏または大橋氏)、幼名は大蔵、初名は友親。 元禄6年(1693年)、5千石を賜る。元禄7年(1694年)12月18日 従五位下・但馬守に任官する。元禄11年(1698年)7月13日、見世姫が誕生する。宝永2年(1705年)、長男・代五郎(徳川宗勝)が誕生(母は側室の圓珠院・湯本氏)。結婚前であり、幕府への届け出は宝永4年(1707年)6月2日付でおこなわれる。宝永3年(1706年)11月23日、川田窪に屋敷を拝領する。この屋敷に因んで、友著の家系は川田窪松平家と呼ばれることになる。 宝永4年(1707年)7月28日 公家の正親町公通の娘・生姫(貞亮院)と婚礼する[2]。正徳元年(1711年)8月、大名格として江戸城に出仕する。享保2年12月18日(1718年1月19日)、従四位下(四品)。8代将軍・徳川吉宗はこの後に数度にわたり、松平通春(徳川宗春)と共に、諸行事の参列や鷹狩の獲物の下賜など、御連枝として特別に扱う。 享保13年(1728年)3月30日、卒去。伝通院に葬られる。法名は隆興院殿。 跡を子の友淳が継いだ。後に友淳は高須松平家を継いで義淳と名乗り、さらに後には尾張本家を継いで徳川宗勝と名乗った。そのため川田窪松平家は2代で絶えることとなった。 系譜脚注 |