松平義端
松平 義端(まつだいら よしまさ)は、江戸時代後期の大名。美濃国高須藩12代藩主。 生涯11代藩主・松平義比(のちの尾張藩主徳川茂徳、一橋家当主徳川茂栄)の長男として誕生した。母は丹羽長富の娘。幼名は秀麿。 安政5年(1858年)8月、安政の大獄の処分により伯父の尾張藩主・徳川慶恕の隠居謹慎にともなって父・義比(改め茂徳)がその跡を継いだため、生後2か月で高須松平家の家督を継ぎ、早くも諱を義端と名付けられる。万延元年(1860年)5月18日、わずか3歳で死去した。 嗣子はなく、叔父で1歳下の義勇が跡を継いだ。 系譜父母 脚注
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