松平義和
松平 義和(まつだいら よしなり)は、美濃高須藩の第9代藩主。 水戸藩主徳川治保の次男に生まれる。母は旗本前田政英の娘・佐山。幼名は泰之丞。初め父より偏諱を受けて保右(もりすけ)、保友(もりとも)と名乗る。 生涯文化元年(1804年)10月19日、松平義居の末期養子として家督を相続し、高須藩主となった。諱を義和に改める。同年12月15日、第11代将軍徳川家斉に御目見した。同年12月18日、従四位下・侍従・兼中務大輔に叙任される。 文化2年(1805年)12月28日、左近衛権少将に任官される。天保3年(1832年)正月15日、57歳で死去した。家督は次男の義建が継いだ。 子女 |