松平義勇
松平 義勇(まつだいら よしたけ)は、江戸時代後期の大名。美濃国高須藩13代藩主、のち藩知事。位階は従五位。 生涯10代藩主・松平義建の隠居後に十男として誕生した。母は千代(小森氏)。 12代藩主の義端は義勇の甥に当たるが1歳だけ年上であり、11代藩主で義端の父、義勇の五兄の義比が安政5年(1858年)に徳川茂徳と改名して宗家の尾張徳川家を継いだ際、代わって生後2か月で高須藩主を継いでいた。茂徳の前に尾張家を継いでいた次兄の徳川慶恕(慶勝)が、安政の大獄で隠居となったことにともなう交替であった。義端は万延元年(1860年)に夭逝したため、義勇が数え2歳でその跡を継いだ。 明治2年(1869年)の版籍奉還で知藩事となるが、同年7月27日に病を理由として家督を養嗣子(年齢は義勇より4歳上)の義生に譲って数え11歳で隠居した。 明治24年(1891年)、満31歳で死去した。 系譜父母
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