松前神楽松前神楽(まつまえかぐら)とは、北海道日本海沿岸地域・道南地域などに伝わる神楽である[1]。採物舞・巫女舞・湯立神事・獅子舞を揃って伝承する稀有な神楽であり、神職による神楽には伝承例の少ない「千歳」「翁」「三番叟」を伝える点にも特色がある[2]。また、演目や芸態等に東北地方の諸神楽との関連もうかがわせる[2]。 概要松前神楽は、北海道南部で神職が中心となって伝承され、直面の採物舞をはじめ、巫女舞・湯立神事・獅子舞、さらに仮面の翁舞等、多彩な演目を伝え、太鼓や龍笛・手平鉦の演奏にのせ、一間四方を舞の場として演じられる[2]。松前神楽の起源は明らかではないが、1674年(延宝2年)に初めて福山城内で湯立神楽が行われたとの記録があり、また、松前藩主が寄進した獅子頭も現存する[2]。このように松前神楽は松前藩との深い関わりのもとで行われていたが、現在では、渡島地方を中心に、檜山地方・後志地方・留萌地方の小平町にも伝承され、各地の約120に及ぶ神社の例祭や新年祭・船魂祭等において神社拝殿で演じられるほか、厄除け祈願や新築祝い等の依頼に応じて個人宅でも行われる[2]。また、新年の門祓いとして地区の家々を巡って獅子を舞わすこともある[2]。 旧松前藩が、かつて城中で行わせたところから「お城神楽」ともよばれ、江戸時代に神職によって盛んに行われたものが後に広がり、現在では函館市・小樽市・松前郡松前町、福島町はじめ北海道の日本海沿岸地域や道南地域など広い地域で伝承され、各地の神社例大祭等で公開されている[3]。 歴史松前神楽の起源は諸説あり定かではない[1]。松前家の正史である『新羅之記録』によれば、1625年(寛永2年)にそれまで大館にあった八幡宮を福山に遷宮した時に、これに合わせて宝殿・拝殿・神楽屋修造の記事が見えている[1]。「神楽屋」で奏上された神楽が、現在伝えられている松前神楽であるかどうかは定かではないが、この時代にすでに松前藩領内で神楽が行われていたことは確かである[1]。『福山秘府』によれば、1974年(延宝2年)に松前藩主10世矩廣の時代、福山城内で初めて藩の公式行事として「鎭釜湯立神楽」が奏上されている。以来、隔年ごとに城内槍之間において、松前藩主の庇護のもとに、神楽が行われている[1]。1681年(延宝9年)に制定された『御城内大神事』によれば「御祈祷」に始まる23事の神事と舞がこのころに成立していたことが分かる[1]。 その後、神楽式はさらに整えられ、現在では12事の神事と21事の舞楽によって構成されている[1]。松前神楽は、松前藩領内の各社家により世襲的に古来の伝統を厳格忠実に守り、格調高い神事芸能へと発展していった[1]。 一方、松前神楽は庶民にも大きく支えられていた[1]。人々は自家の利益のために、ニシン場神楽・鮭場豊漁神楽・会場安全神楽・手船新造神楽・火災消滅神楽・疱瘡安全神楽などといった、家内道中安全・豊漁祈願・疫病退散などを願い、様々な機会をとらえ神楽祈祷が行われていた[1]。 明治にいたり松前藩の庇護が失われると、松前神楽を伝承してきた社家は氏子の人々との結び付きをさらに深め、今日まで神楽を保存伝承してきたのである[1]。加えて、幕藩体制の束縛から解き放された人々は、豊かな漁業資源を求めて北海道各地へと移住していった[1]。そうした人々は、厳しく過酷な生活環境の中で、安らぎと娯楽を求めて幼い頃から親しんできた松前神楽をその地に根付かせたのである[1]。 明治以来、今日に至るまで松前神楽は渡島・後志地方を中心に日本海沿岸各地で見ることができる[1]。しかし時間の経過とともに松前神楽にも微妙な地域差が生じてきたのも事実である[1]。現在では、松前・福島・函館・小樽の四地域にブロック保存会が結成され、それぞれの伝統を尊重して保存伝承に励んでいる[1]。2018年3月8日には重要無形民俗文化財に指定された[1]。 演目伝承される演目は以下に列挙するように数多く、それらの内容や名称などに各伝承地で若干の違いがあるが、いずれも神事性・儀式性が強い神楽であり、余興的な部分が少ないことが共通の特色である[3]。松前神楽は、旧松前藩主が福井県若狭地方の出身とされるところから、京都の舞楽や出雲地方の神楽との関連や、また直接的には地理的に近い東北地方の山伏神楽や番楽の影響が指摘される[3]。この松前神楽は、北海道において江戸時代以来の伝統を引継ぎ、さらに道内各地で、それぞれの地域の特色を加えつつ広く行われるようになったもので、芸能の変遷の過程および地域的特色を示す重要なものである[3]。
伝承地域松前神楽は北海道の日本海沿岸地域や道南地域など広い地域で伝承され、微妙な地域差もある[1]。松前・福島・函館・小樽の四地域にブロック保存会が結成され、それぞれの伝統を尊重して保存伝承に励んでいる[1]。上映は北海道各地の神楽を伝承する神社の祭礼・地域のイベント会場など(開催時期は各地域ごとに異なる)で行われている[1]。松前町では、毎年4月29日に松前公園本丸広場にて「松前神楽公開公演」が開催されている[1]。以下に主に伝承されている市町村を列挙する[2]。 保存・継承松前神楽は2018年3月8日に重要無形民俗文化財に指定されており[1]、松前神楽北海道連合保存会を中心として松前神楽函館連合保存会・松前神楽小樽ブロック保存会・松前神楽松前ブロック連合保存会・福島町松前神楽保存会などが保護・継承をしている[14]。 松前神楽は、1958年(昭和33年)に北海道無形文化財に12名が演技保持者として指定され、各3ブロック(小樽・福島・松前)4名づつが指定保持者となった[15]。1968年(昭和43年)には全道的な組織として「松前神楽連合保存会」が結成され、その後、1995年(平成7年)に国の「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に選択され、国の無形文化財の指定を受けるには、尚一層の結束の必要性を計り1999年(平成11年)に松前神楽保存会を解散し「北海道松前神楽保存会」(松前神楽函館連合保存会・松前神楽松前ブロック連合保存会・松前神楽小樽ブロック連合保存会・福島町松前神楽保存会)が結成される[15]。2008年(平成20年)4月には無形文化財の最後の指定保持者である木村修の死去により、指定解除となった[15]。同年6月、新たに北海道の無形民俗文化財に北海道松前神楽連合保存会(4ブロック)が指定される[15]。そして、2018年(平成30年)3月、国の重要無形民俗文化財を受け現在に至る[15]。 以下は重要無形民俗文化財に指定されるまでの一連の流れである[14][15]。
脚注
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