東十条オデヲン座
東十条オデヲン座(ひがしじゅうじょうオデオンざ)は、かつて存在した日本の映画館である[1][2][3][4][5][6][7][8]。東亜興行が新宿・歌舞伎町に「グランドビル」(のちの第一東亜会館)を建てた進出した12年後の1967年(昭和42年)11月、東京都北区東十条に新築した東十条東亜会館(ひがしじゅうじょうとうあかいかん)内に開館した[8]。 本項では同会館についても詳述する[8]。 沿革
データ
概要1967年(昭和42年)11月、国鉄(現在のJR東日本)京浜東北線の東十条駅北口、東十条四丁目2番12号に東十条東亜会館を新築・開業、同会館内に東十条オデヲン座を開館した[8]。1949年(昭和24年)8月、阿佐ケ谷駅北口に「阿佐谷オデヲン座」を開館して創業した高橋康友の東亜興行株式会社が、「グランドビル」(のちの第一東亜会館)以来12年ぶりに新規に開業したレジャービルであり、高円寺平和劇場・吉祥寺オデヲン座以来13年ぶり8館目に開業した映画館である[8][11]。 同館は開業以来、外国映画(洋画)の三番館、つまりロードショーを終えた作品をその2週後に上映する劇場であった。 同館が建つ前、とくに第二次世界大戦前の下十条駅(現在の東十条駅)近辺には昭和初期にはすでに昭和キネマ(上十条四丁目6番地)があり[12][13][14][15]、戦時中の1942年(昭和17年)までには、昭和キネマのほか、昭和キネマと同一経営の十条館(十条仲原一丁目5番地、十条駅至近)、山本音一経営の王子映画劇場(東十条二丁目6番地4号)の合計2館が存在した[13]。戦後は、下十条駅の周辺には、戦前からの王子映画劇場、十条映画劇場(かつての十条館)があり、1954年(昭和29年)までには、ニューパール劇場(東十条四丁目12番地)が加わって合計3館が存在した[16][17]。1955年(昭和30年)には、十条銀杏座(現在の上十条一丁目16番)が加わって[18]、下十条駅が東十条駅と改称する1957年(昭和32年)までには、東十条世界館も加わり合計4館[19][20][21][22]、そこに加わった東十条オデヲン座は、東十条駅にもっとも近かった[8]。 1970年代に入ると、十条映画劇場、十条銀杏座、東十条オデヲン座だけが残った[1]。1977年(昭和52年)前後に十条映画劇場、1985年(昭和60年)前後に十条銀杏座がそれぞれ閉館し、東十条オデヲン座が最後に残ったが[2][3][4][5][6]、1987年(昭和62年)、東亜興行は同館を閉館、同地区に映画館は皆無となった[6][7][9]。 同館の閉館以降の東十条東亜会館は、パチンコ店等が入居して営業し、2010年(平成22年)に建物老朽化を理由に1階のパチンコ「キング東十条店」が閉店するまでのある時点で、同会館は「キング東十条ビル」と改称していた。閉鎖後の2011年(平成23年)、残されていた「オデヲン座」のロゴ看板が撤去された。2012年(平成24年)12月20日、跡地にパチンコ店「ガーデン東十条」が開店し、「ガーデン東十条ビル」となって現在に至る[10]。 脚注
参考文献
関連項目外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia