東万町
歴史町名の由来名古屋開府当時は二丁目町と称していたが、1661年(寛文元年)金剛寺門前の古松にちなんで松屋町と改称[4]。1708年(宝永5年)、松姫(尾張藩主徳川綱誠の娘)の名を避け、万屋町と改称したものである[4]。万屋町は当地が諸品商いの町民が多かったことによるという[4]。東万町は伏見町筋から本町筋の間を指す[4]。 沿革
脚注参考文献
関連項目 |
東万町
歴史町名の由来名古屋開府当時は二丁目町と称していたが、1661年(寛文元年)金剛寺門前の古松にちなんで松屋町と改称[4]。1708年(宝永5年)、松姫(尾張藩主徳川綱誠の娘)の名を避け、万屋町と改称したものである[4]。万屋町は当地が諸品商いの町民が多かったことによるという[4]。東万町は伏見町筋から本町筋の間を指す[4]。 沿革
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