平林清澄
平林 清澄(ひらばやし きよと、2002年12月4日[1] - )は、日本の陸上競技選手。福井県越前市出身。國學院大學経済学部在学中。陸上競技部に所属し、専門種目は長距離走。 経歴大学時代大学1年次2021年10月10日の第33回出雲駅伝ではルーキーながら最終6区に抜擢され、大学三大駅伝デビューを果たす。3位で襷を受けると出雲大社前で東洋大・柏優吾を抜き2位に浮上。一時は3位グループの柏と青学大・横田俊吾を引き離したものの、終盤ペースを落とし再び差が詰まる。残り600mで横田にかわされると、ゴール手前の直線では柏にも抜き返され4位でフィニッシュ。区間5位と粘りの走りを見せたが、惜しくも表彰台には届かなかった。 11月7日の第53回全日本大学駅伝では7区を担当し、区間3位の好走で8位から7位に浮上。チームは8区・伊地知賢造の区間賞で3人を抜き、総合4位に食い込んだ。 2022年1月2日・3日の第98回箱根駅伝では1年生ながら最長区間の9区を担当。10位で襷を受けると、5人を抜いて一気に5位まで浮上させた。区間賞を獲得した青学大・中村唯翔には52秒差をつけられたが、従来の区間記録に6秒差まで迫る1時間08分07秒(区間歴代4位、区間2位)の快走を見せた。チームは総合8位でシード権を獲得した。 3月13日の日本学生ハーフマラソン選手権大会では1時間01分50秒の自己ベストを記録し、優勝を果たした。 大学2年次2022年10月10日の第34回出雲駅伝では3区を担当。5位で襷を受け区間6位の走りを見せたが、順位を1つ下げる。チームは4区で一気に4人を抜くと、最後は中央大との2位争いを制し準優勝を果たした。 11月6日の第54回全日本大学駅伝では前年同様7区に出走。1位と1分58秒差の3位で襷を受けると2位の順大・伊豫田達弥と併走状態が続いたが、2km過ぎで青学大・近藤幸太郎に26秒差を追いつかれ3人の集団となる。その後近藤には大きく離されたものの、前回よりもタイムを1分以上縮めた。チームは最終8区の15km過ぎに青学大をかわし、大学史上最高順位(当時)となる2位でフィニッシュした。 2023年1月2日、3日の第99回箱根駅伝ではエース区間の2区を担当。12位で襷を受けると、区間7位ながらも順位を6つ押し上げ6位に浮上させた。チームは往路を4位で終え、翌日の復路では順位を落とす場面もあったが総合4位をキープ。5年連続でシード権を獲得した。 大学3年次2023年7月8日のホクレン・ディスタンスでは10000mに出場し、27分55秒15の自己ベストを記録した。 2023年10月9日の第35回出雲駅伝では6区を担当。4位で襷を受けると3位の青学大・鶴川正也を追い抜き、順位を1つ上げてフィニッシュした[2][3]。 11月5日の第55回全日本大学駅伝では3年連続で7区を担当。3位の中央大・湯浅仁と2人で並走を続け、2位の青学大・太田蒼生との差を34秒詰める。平林は湯浅、駒澤大・鈴木芽吹等を抑え自身初となる区間賞を獲得した[4]。その後、8区の伊地知が青学大、中央大と激しく競り合ったが、最後は青学大に5秒及ばず3位となった[5][6]。 翌年1月2日・3日の第100回箱根駅伝では2年連続で2区を担当。1区の伊地知が出遅れ17位からのスタートとなったが、前回の自身の記録を1分以上上回る区間3位の走りで8人を抜き、9位で襷を繋いだ。チームは往路6位、復路5位で総合5位となり、6年連続でシード権を獲得した[7]。 箱根駅伝の翌日、新チームの主将となることが発表された[8]。 2024年2月25日の大阪マラソンで初めてフルマラソンに挑戦。32キロ過ぎに先頭に立つと、小山直城、吉田祐也ら有力選手を振り切って初優勝を遂げた。記録は日本歴代7位(当時)となる2時間06分18秒で、学生日本記録(2時間07分47秒)・初マラソン日本記録(2時間06分45秒)を更新した[9]。 大学4年次10月14日に行われた第36回出雲駅伝では自身3度目となる最終6区を担当し、2位と4秒差のトップで襷を受ける。一度は駒澤大・篠原倖太朗に追いつかれたが、4km過ぎにロングスパートを仕掛け再び突き放す。平林はそのまま逃げ切り、区間賞の活躍で5年ぶり2回目となる優勝のゴールテープを切った[10][11][12]。 11月3日の第56回全日本大学駅伝では4年連続で7区を担当し、4秒差の2位で襷を受ける。青学大・太田と熾烈な先頭争いを繰り広げたが、差は変わらず2位のまま襷を繋ぐ。チームは最終8区の上原琉翔が青学大・塩出翔太に競り勝ち、初優勝を飾った[13][14]。 第101回箱根駅伝では3年連続で2区を担当。平林自身は1時間06分38秒の好記録で早大をかわすも、区間新記録ペースで追い上げた東国大・リチャード・エティーリ、青学大・黒田朝日、創価大・吉田響に追い抜かれ、順位を2つ下げる結果となった[15]。その後は青学大に大きく後れを取り、総合3位。チームとしての過去最高順位(第96回大会)に並んだが、史上6校目の大学駅伝三冠はならなかった[16]。 戦績・記録大学三大駅伝戦績
マラソン全成績
自己ベスト関連項目脚注
外部リンク
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