平岸村(ひらぎしむら)は、かつて北海道石狩国札幌郡にあった村。現在の札幌市域の南側に含まれる。
1871年(明治4年)に入植が始まり、翌1872年(明治5年)開村。初期には麻畑村とも称した。村域は現在の札幌市豊平区平岸周辺ばかりでなく、豊平川の上流部、現在の南区定山渓一帯、まで含む広い領域だった[1][2][3]。
「平岸」の地名は、アイヌ語の「ピラ・ケシ」(崖・(の)端)に由来するとされる[4][5]。
概要
1871年(明治4年)に始まる平岸地域への入植のため平岸街道(現在の平岸通)、平岸用水などが開削された[1]。1879年(明治12年)にはお雇い外国人のエドウィン・ダンの提案で真駒内用水も開かれた。入植者たちは当初、村の主産業として麻の栽培を進めており「麻畑村(あさはたむら)」とも称された[注 1]。平岸村は国内で初めてヨーロッパ種のリンゴが実った地ともいわれ、リンゴ栽培が広がった[12]。1884年(明治17年)頃までには海外にも輸出される「平岸リンゴ」の産地として知られていた[1]。
寺社
村内の神社は『新札幌市史』によると、創建の古い順に、中の島神社(1877年頃創建)、花岡神社(1882年)、石山神社(1885年)、のちに相馬神社へと発展する札幌神社遙拝所(1895年)[注 2]があった。
村内の仏教寺院は、浄土宗長専寺(1896年創建)[15][16]があった[17]。
領域
平岸村の領域は、現在の札幌市の豊平区・南区の2区にまたがっていた。
- 現在の札幌市豊平区
- 平岸・美園・中の島
- 現在の札幌市南区
- 澄川・真駒内・石山・常盤・藤野・簾舞・砥山・豊滝・定山渓
沿革
文献案内
代表的な郷土史誌として入植・開村110周年を記念した『平岸百拾年』(1981年)がある[25]。同書の編集責任者を務めた平岸出身の作家澤田誠一はのちに、父祖三代にわたって平岸を描く小説『平岸村』(2005年)も上梓している[26]。また、『道新りんご新聞』の連載記事「平岸の歴史を訪ねて」の一部がWEBサイト「道新りんごステーション」で公開されている[注 5]。関連文献欄も参照。
脚注
注釈
- ^ 入植者の故地水沢の名産であった漁網の生産を目指して主産業として麻(大麻)の栽培を計画したという[6]。1875年(明治8年)には冬期の副業とするため水沢から漁網製作を教える職人を招いており、明治初期には村は良質な麻の産地として知られたが、入植から10年を経た頃には連作による地力の低下もあって麻の栽培は衰えたという[7]。麻畑村から平岸村への改称時期については、平岸郷土資料館[8]を訪れたブログ記事などに1875年(明治8年)に平岸村に改称されたとする言及が散見されるが[6]、『新札幌市史』第2巻は1871年(明治4年5月)に改称したと記しており[9]、不詳。平岸小学校の開校80周年を記念して編纂された『郷土誌 ひらぎし』(1969年)のp. 50には、「(..) 明治のはじめから、平岸村に大麻が植えられ、明治の中ごろから亜麻も植えられたので、平岸村を麻畑村とよんだときがありました。/手紙も“札幌郡平岸村アサハタ”としてとどけられました。私たちの〔平岸小学校〕校歌にも、麻畑ということばがでてきます。また今でも、古い電柱に、麻畑という字をみることができます。」と記されているという[10]。現在も平岸小学校校歌の第2番の歌詞には「麻畑と よばれたむかし (..)」と見え、また電柱に「麻畑」の名称が用いられているという[11]。
- ^ 札幌神社は現在の北海道神宮。『新札幌市史』第2巻が1895年(明治28年)の遙拝所設置に至る経緯を史料を用いて解説している[13]。ただし、平岸村合併後の1908年(明治41年)に神社創立を認可される相馬神社の由来記では、1871年(明治4年)の平岸村入植とほぼ同時に札幌神社の遙拝所が設置されたことになっている[14]
- ^ 入植者を65戸とする典拠もある[18]。内訳は41戸が水沢(岩手県)
出身(うち水沢藩士23戸)、残りは青森、秋田、宮城、岩手の人びとだったという[18]。
- ^ 現在、旧札幌農学校第4農場を所管する北海道大学生物生産研究農場のWEBサイトによれば、1888年(明治21年)に当該農場の所管を札幌農学校が北海道庁から引き継いだ時点では札幌農学校「第3農園」(札幌郡平岸村簾舞)と呼称されており、7年後の1895年(明治28年)に札幌農学校が文部省直轄学校となった際に「第4農場」と改称したという(第1農場には旧札幌育種場が宛てられた)[22]。なお、この第4農場は小作によって開墾された農場であり、その発展の様子は『新札幌市史』第2巻に窺える[23]。
- ^ 発行元は北海道新聞永田販売所、著者は伴野卓磨。北海道新聞朝刊折り込み(札幌市平岸地域配布)の『道新りんご新聞』連載記事。自然史編、縄文・古代史編、入植編、開拓編、近代編、りんご編から構成。2023年4月現在、自然史編から入植編の一部がpdf提供されている[27]。
出典
参考文献
関連文献
- 金山セイ子(口述) 著、下本村農事実行組合 編『平岸村開拓史』。 ※『新札幌市史』に引用あり。
- 平岸小学校開校80周年記念祝賀協賛会 編『郷土誌ひらぎし』平岸小学校開校80周年記念祝賀協賛会、1969年9月。
- 平岸小学校開校90周年記念協賛会 編『郷土誌ひらぎし 第2号』平岸小学校開校90周年記念協賛会、1979年9月。
- 平岸小学校開校百周年記念事業協賛会 編『風雪百年』平岸小学校開校百周年記念事業協賛会、1989年11月。
- 澤田誠一 編『平岸百拾年』平岸百拾年記念協賛会、1981年10月。
- 平岸開基120年記念会 編『平岸百二十年』平岸開基120年記念会、1990年9月。
- 澤田誠一『平岸村』北海道新聞社、2005年10月。ISBN 4-89453-342-1。
関連項目
- 平岸 - 現在の北海道札幌市豊平区平岸。旧・平岸村の一部。
- 豊平区 - 現在の北海道札幌市豊平区。旧・平岸村の一部を含む。
- 南区 - 現在の北海道札幌市南区。旧・平岸村の一部を含む。
- 平岸通 - 旧・平岸街道を基礎とする。
- 平岸リンゴ - 名産だった。
- 留守氏 - 平岸村入植・開村の中心を担った水沢伊達氏。
- 美泉定山 - 僧侶。定山渓(常山渓)の由来となり、平岸街道の整備にも力を尽くしたという。
- 澤田誠一 - 郷土史誌『平岸百拾年』の編者、小説『平岸村』の著者。