岡林信康アルバム第二集 見るまえに跳べ
『岡林信康アルバム第二集 見るまえに跳べ』(おかばやしのぶやすアルバムだいにしゅう みるまえにとべ)は、岡林信康が1970年6月1日にURCより発売したスタジオ・アルバム。 解説”反戦フォークの歌手”というあらぬ存在に祭り挙げられてしまったことに嫌気が差し、人気絶頂の1969年9月ボブ・ディランのアルバム『ライク・ア・ローリング・ストーン』を聴き込んでロックに目覚める。当時、ボブ・ディランはザ・バンドをバックに従えており、友人の小倉エージより、「はっぴいえんど(当時、ヴァレンタイン・ブルーと名乗っていた)をバックにして同じようなことをやったら面白いじゃないか」という提案もあり、早川義夫の制作の下に作り上げられた力作[2][3]。 に突如蒸発した岡林は、友人宅でタイトルの「見るまえに跳べ」は、大江健三郎が1958年 に出した短編集のタイトルから来ており[4][5]、「一生懸命、見て考えていたら行動できない。まず行動することが大切だ」という考えの表現[6]。また、収録曲の「堕天使ロック」の歌詞の一句から、アルバム・タイトルはとってあるとも書いてある[7]。 URC社長の秦政明よりディレクターとして指名された早川は、1970年2月 中旬、近江八幡の岡林の家に一週間ほど泊まりこみ、ディスカッションしたり、岡林の曲づくりの現場に立ち会ったりした[8][5]。 URCとしては断トツのセールスを記録する[8]。 当時岡林はURCのスターだったため、本人がスタジオ入りする前に、早川義夫とはっぴいえんどで仮唄と音合わせをして、本人が来て演奏はこういう感じで、じゃぁこれで決めてやりましょうという感じで進めていた[5]。 ロックをレコーディングするという作業は難航して、技術者もよくわからず、洋楽をよく聴いて色々知っているはっぴいえんどの細野、大滝、松本に聞いたり、ドラムに毛布を被せて渋い音にしたりの試行錯誤だった[9]。 ピアノ・オルガンに参加した渡辺勝は、斉藤哲夫が「いいピアノ弾きがいる」との紹介によるもので、ベースの稲葉正三とドラムの小川敏夫は武蔵野タンポポ団にいた若林純夫の紹介によるもの[10]。はっぴいえんどより、この3人による岡林バンドのほうがいいバンドだったと斉藤哲夫は語っている[10]。 エピソードこのアルバムを発表した後に、岡林はバンドを従え日本縦断のコンサートを行った。北九州市と熊本市で開かれたステージに、デビュー前の海援隊が前座として出演。当時、こういった地方でのステージには、地元のアマチュアバンドが前座として出演するのが定番になっており、大先輩をくってやろうという思い上がりを、福岡のアマチュアグループは皆持っていた。先輩であるプロ歌手が出演する前にアマチュアがステージに立ってはりきった演奏をすると、いざプロ歌手本番の際には半分くらいの客が帰ることもしばしばで、それを前座組は「やったやった」と喜んでいたが、いざ岡林がステージに立ってみると、「とても太刀打ちできる相手ではない」と痛感した[11]。「性と文化の革命」「私たちの望むものは」「おまわりさんに捧げる詩」などを歌い、次の「愛する人へ」では、生のステージで初めて感動し、「自由への長い旅」では岡林の世界に飲み込まれてしまったという[11]。 収録曲Side A
Side B
レコーディング・メンバー愛する人へおまわりさんに捧げる唄
性と文化の革命
自由への長い旅
私たちの望むものは
NHKに捧げる歌
堕天使ロック
ロールオーバー庫之助
ラブ・ゼネレーション
無用ノ介
今日をこえて
スタッフ
発売履歴
関連項目脚注
外部リンク
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